【鳥の目ショット】登り窯の煙 平和の証し 読谷山窯


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龍の形に似た長さ25メートルの登り窯。まきの火で時間をかけて作品を焼き上げる=15日、読谷村座喜味のやちむんの里(小型無線ヘリで花城太撮影)

 サンゴ礁が広がる青い海を望み、緑の樹木に囲まれる読谷村。世界遺産の座喜味城跡にほど近いやちむんの里を奥に進むと、石積みの壁と赤瓦の屋根でできた「読谷山窯」が現れる。豊かな自然が織りなす風景が、個性あふれる陶器をいっそう際立たせる。

 読谷村には琉球王朝時代の1670年前後に那覇市壷屋に陶工が集められる前まで古窯「喜名焼」があった。

 この地が再びやちむんの産地になったのは約35年前。米軍の不発弾処理場撤去闘争の中で跡地利用として「やちむんの里構想」が生まれ、1978年の返還と合わせて県内各地から4人の作家が9連房の共同登り窯・読谷山窯を建設し、80年に初めての窯出しを迎えた。

 窯の前方部分は当時のままだが後方部分は昨年秋に修復した。新旧で色の異なる赤瓦が歴史を感じさせる。かつての爆弾処理の煙は文化の煙へと変わり、平和を表す象徴となっている。
 (写真・花城太、文・清水柚里)

登り窯の中にぎっしりと詰め置かれた作品。窯の温度は約1250度まで上がる=16日、読谷村座喜味

炎に委ね、向き合う

 午後5時すぎ、太陽が斜めに窯を照らす中、年に2回の読谷山焼の窯入れが始まった。火をつけるとすぐに香ばしい香りが立ち込めた。

 窯の一番下にある窯口に形状の異なる3種のリュウキュウマツを使い分けながら火を起こす。窯全体を暖めるため、四つの窯元が6時間で交代し、1日がかりで燃やし続けた。

 斜面に沿ってどっしりと構える窯は長さ約25メートルにも及ぶ。約15度といわれる窯の傾斜に沿って暖かい煙が立ちのぼっていく。

温かさが残る陶器を丁寧に窯から出す大嶺工房の職人、川上喜和さん=22日、読谷村座喜味

 「窯に入れて閉めたらあとは祈るだけだよ」。大嶺工房の大嶺實清さん(82)がいたずらっぽく笑った。

 温度計や時計を使うのでなく、職人の目で判断して窯をたく。マニュアルはない。大嶺さんは「電気窯やガス窯もある中、難儀でクレイジーでしょう。でも登り窯は面白い。多くを教えてくれる。いい物を作りたい」と語る。

 翌日からは下から順番に窯口から一の窯、二の窯と9連房の窯の横からまきをくべ始めた。全ての窯で焼成が終わった72時間後、約1250度にまで温度の上がった炎にまきを入れるのをやめた。

 5日後の朝、待ちに待った作品との対面だ。たっぷり冷却させたのに窯の中はまだ暖かく作品にも熱が残っていた。

 職人たちは一つ一つ手にし確認。金城宙矛(ひろむ)さん(26)は「足りなかった」と焼き加減に満足がいかない様子。それでも窯の中には青、緑、薄桃、びわ色などさまざまな色に釉薬が溶けて発色した作品たちが所狭しと並んでいた。

 大嶺さんはじっと作品を見詰め、指で大切そうになでた。「伝統と新しさを取り入れたい。古さを身にまとい、未来を捉えた作品が素晴らしい」