「県民の台所」新時代へ 農連市場 閉鎖へ 消える昭和の風景


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閉鎖を間近に控えた農連市場。早朝の暗闇の中に優しい明かりがともる=20日、那覇市樋川

 「県民の台所」として親しまれてきた沖縄県那覇市樋川の農連市場。64年間、農家や店子(たなこ)たちの苦楽を見つめ、歴史を刻んできた市場は10月末に閉鎖し、11月1日には新市場がオープンする。新市場での営業に意気込む店子もいれば、これを機に引退を決めた店子も多い。“昭和の風景”がまた一つ消える。新たな時代へと移る市場に18日と20日の早朝、密着した。(文・田吹遥子、写真・新里圭蔵)

<早朝ルポ>「寂しいけど、まだ若い」笑顔

 

おしゃべりをしながら、モヤシのひげ根を取る(左から)国吉テル子さん、新里順子さん

 市場向かいのスナック街からは、まだカラオケの歌声が漏れてくる午前3時半。荷台に段ボールを数個くくりつけた原付きバイクが、飲み屋街と市場をつなぐT字路を通り過ぎた。暗がりに浮かぶ市場の明かりから女性たちの声が聞こえると、少しほっとする。

 店子はまだまばらだが、一部の総菜店は午前0時ごろから営業を始めていた。砂川恵美子さん(62)は夫の忠造さん(75)と二人三脚で総菜店を切り盛りする。恵美子さんが姉の手伝いで始めて、ことしで38年。子育ても市場と共にあった。「昔から積み上げてきた客との信頼がないと、ここまで長くできない。新しい市場で同じようにできるかな」。不安を口にする。

野菜を運ぶ手押し車や、野菜などを買い求める人で活気づく市場

 午前3時40分ごろ、店子が野菜を広げ始める。ゆんたくを楽しみながら、モヤシのひげ根をちぎるのは新里順子さん(70)と国吉テル子さん(75)のコンビ。記者が1本のモヤシの根をちぎるうちに、新里さんは既に5本ほどちぎり終えていた。

 国吉さんの後ろの棚には、前日の夕方に農家が運び入れたゴーヤーがビニール袋いっぱいに入って並んでいた。国吉さんが店を開く場所は22日で電気が止まる。「棚も新しいところに運ぶ。その日だけでできるかは分からない」とつぶやいた。

 午前4時。下地ノリ子さん(69)は、機械を動かし、モヤシの緑豆取りを始めた。モヤシを買いに来たのは浦添市で商店を営む60代の女性。「毎日この時間に仕入れに来ます。移転するのはさみしい」と話した。午前4時半を過ぎると、市場中央で野菜を広げる店子が6~7人と増えてくる。市場内は、店子に野菜を売る農家や卸業者のバイク、野菜を買いに来る飲食店業者でせわしない。樋川で鍋料理屋を営む園美恵さん(60)は、店子からエンサイを買った。台湾から沖縄に移住し30年。市場との付き合いも長い。「店を辞める人もいるし…」とさみしげに話した。

卸店から品物を仕入れる女性

 隣は「千切り屋」。切り干し大根などをすぐ調理できるように切り、袋に詰めて売る。「沖縄料理を作れる人が減っていて千切り屋も少ない」と語るのは店主の比屋根加余子さん(60)。新しい市場ではカフェを出す予定だ。「料理法を教えられるような店にしたい」と目を輝かせた。

 市場が活気づく午前5時半ごろ、一通り販売を終えた店子と買い物を終えた客5~6人が輪になり、おしゃべりを始めていた。話題はやはり新しい市場だ。「90代でも続ける人がいるからね~。70代はまだ若いよ」。一人が言うと笑顔の花が咲く。

 午前6時。時間とともに店子も入れ替わる。最高齢の新垣キクさん(90)が大量のゴボウを持って現れた。その裏の総菜店では仲尾次栄子さん(74)がからしな炒めを作って常連に手渡す。「新しいところのお店もきれいにしてもらったのよ」と仲尾次さん。常連客の女性は「でもこういう雰囲気はもうないんじゃないかな」とつぶやいた。

 午前7時半、野菜を運ぶバイクも少なくなってきた。期待と不安が交差する市場を出ると、新市場の脇の道を小学生が登校し始めていた。