《32軍司令部の軍属として働き、軍と一緒に行動していた富山貴久子さん(84)は、戦況の悪化に伴い、南部に撤退。摩文仁の海岸まで追い詰められました》
負けそうになったからだと思うんだけど、第一線でない司令部も総攻撃に出ることになった。兵隊さんたちが壕から出たのはいいんだけど、10分もたたないうちに半分は亡くなって。生きていても片手になっていたり、足がなかったり、けがをしていてね。壕に転がり込んできたわけ。気が狂って「お母さん」と抱きついてくる者がいる。あるいは妻子の名前を呼び続けて、泣き叫んでいる。「負けてもいいから早く戦争終わってくれ」と思った。
6月下旬になって、解散が告げられた。松原大尉という方が「あなたたちはまだ二十歳前だから、花のつぼみのまま死なせたくないから、家族を捜して生き延びてくれよ」と言って、手りゅう弾と乾パン1袋を渡した。
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