<未来に伝える沖縄戦>飛行機に憧れ予科練へ 上原富作さん(88)上


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上原富作さん(右)の戦争体験に聞き入る那覇中学校の下里ももさん(中央)と喜納景大君=3月、那覇市

 那覇市若狭に住む上原富作さん(88)は、宮古島市(旧平良市)出身で、故郷を離れて海軍飛行予科練習生(予科練)として戦争を体験しました。10代のころ、戦争がどういうものか分からず、軍隊に憧れを抱き、飛行機乗りがかっこいいと思って予科練を志願したことなどを振り返り、「今の世の中は僕らの中学時代、戦争が始まる前に似ている」と語っています。

戦後は、「うそのない教育をやりたい」と教師の道に進みました。特定秘密保護法などに触れながら、戦争体験を那覇市立那覇中学校3年の下里ももさん(14)と喜納景大君(14)に語りました。
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 宮古中学時代、学科で教練という授業が2~3時間あって、戦争ごっこをやってね。銃の使い方を中学校で学んだ。その時は、そういう授業が当たり前と考えていた。戦争という単語は知っているけれど、戦争がどんなものかという知識が何もない時代だった。

 《1943年12月、17歳で予科練として奈良県の三重海軍航空隊奈良分遣隊に入隊しました。故郷を離れて厳しい訓練を受けます》

 予科練は自分から志願して行った。かっこいいからね。みんなかっこいいのに憧れるでしょう。剣を下げてきれいな服を着て、いいところだけを見ているわけだから。何も分からない、勉強の足りない、社会知識の足りない時代で、宣伝に乗せられて志願して行くわけですよ。
 予科練に合格して喜んで行ったら班長に入隊祝いをあげると言われて、その入隊祝いが尻を打たれることだった。初めてのことで、痛くて。はうようにして2階から下りてきた覚えがある。逃げようとすると腰に当たるから危ない。竹ざおが血で真っ黒になっていた。お尻が腫れ上がるまで竹ざおで殴られた。授業の服を着けているけれど、ああいうものは薄っぺらで、役に立たない。お風呂に行ってみたら、みんな黒く出血している。あのころの軍隊は、みんなそんなものなのかなあと思っていた。

※続きは4月12日付紙面をご覧ください。

→<未来に伝える沖縄戦>飛行機なくて特攻回避 上原富作さん(88)下

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