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《故郷の沖縄を離れ、奈良県で予科練習生として訓練を受けた上原富作さん(当時18歳)は1944年の秋、上海へ移動します。そこでは飛行術練習生(飛練生)として、実際に飛行機に乗る練習がありました。しかし、上原さんが目の当たりにしたのは、飛行機が1機もない現実でした》
僕は上海飛行場で飛行訓練をすることになっていた。だけど、いざ行ってみると訓練用の飛行機がなかった。みんな出払っていたから。
《44年の秋以降、全国の飛行場で飛行機に乗れない状況が続きました。戦況が悪化し、特攻隊として出撃を命じられる兵士が多かったからです》
宮古中学の同級生で、僕より3年も前に予科練に入隊した子は、戦争から帰ってこなかった。この人たちは訓練して、ちゃんと飛行機に乗って、恐らく特攻隊に行ったはず。僕は入隊するのが遅かったから、生きて帰ってこられたわけです。乗る飛行機がなかったから。特攻隊の話なんて聞いたことなかったんですよ。
※続きは4月13日付紙面をご覧ください。
→<未来に伝える沖縄戦>飛行機に憧れ予科練へ 上原富作さん(88)上
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