<未来に伝える沖縄戦>飛行機なくて特攻回避 上原富作さん(88)下


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
「今の時代は戦前の僕らの時代と同じ」と話し、特定秘密保護法を懸念する上原富作さん=3月、那覇市若狭の自宅

 《故郷の沖縄を離れ、奈良県で予科練習生として訓練を受けた上原富作さん(当時18歳)は1944年の秋、上海へ移動します。そこでは飛行術練習生(飛練生)として、実際に飛行機に乗る練習がありました。しかし、上原さんが目の当たりにしたのは、飛行機が1機もない現実でした》

 僕は上海飛行場で飛行訓練をすることになっていた。だけど、いざ行ってみると訓練用の飛行機がなかった。みんな出払っていたから。

 《44年の秋以降、全国の飛行場で飛行機に乗れない状況が続きました。戦況が悪化し、特攻隊として出撃を命じられる兵士が多かったからです》

 宮古中学の同級生で、僕より3年も前に予科練に入隊した子は、戦争から帰ってこなかった。この人たちは訓練して、ちゃんと飛行機に乗って、恐らく特攻隊に行ったはず。僕は入隊するのが遅かったから、生きて帰ってこられたわけです。乗る飛行機がなかったから。特攻隊の話なんて聞いたことなかったんですよ。

※続きは4月13日付紙面をご覧ください。

→<未来に伝える沖縄戦>飛行機に憧れ予科練へ 上原富作さん(88)上

★YouTube

★通常版