<未来に伝える沖縄戦>護郷隊に召集、最前線へ 金城幸昭さん(84)上


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金城幸昭さん(左)の戦争体験に耳を傾ける東中3年の齊藤みおさん(中央)と我喜屋千聖さん=14日午後、東村川田

 東村川田に住む金城幸昭さん(84)は当時16歳でした。東国民学校を卒業し、1年間伊江島で飛行場造りをした後、第2護郷隊第3中隊員として恩納村の恩納岳に向かいました。隊の最前線で米兵との戦闘に加わった金城さん。多くの戦友を亡くした体験を、東中学校3年の我喜屋千聖さん(15)と齋藤みおさん(15)が聞きました。

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 1945年の2月28日に召集令状が来て役場に集合した。午前8時ごろから役場を出発して、恩納村熱田の安富祖国民学校に着いたのが午前2時ごろ。3月1日に入隊した。前の浜で入隊式をやったが、もう米軍の空襲が始まっている。入隊式を終えて、すぐ後ろの山の中に避難したんですよ。3カ月の訓練を1カ月でやった。24時間寝る暇もなかったよ。

 《訓練を終えた第2護郷隊は、米軍が読谷村から南へ進むと想定し、中飛行場(現・米空軍嘉手納飛行場)を追撃するため、石川岳を目指しました》

 石川岳に向かう先発隊は各小隊からのえり抜き。20人くらいで僕も選ばれた。その時に安富祖で隊長から、別れの杯、水で「頑張れ、はい」とやった。

※続きは4月26日付紙面をご覧ください。

→<未来に伝える沖縄戦>捕虜収容所から脱出 金城幸昭さん(84)下

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