<未来に伝える沖縄戦>捕虜収容所から脱出 金城幸昭さん(84)下


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「戦争は地獄の地獄。今の平和を守ってほしい」と語る金城幸昭さん=14日、東村川田

 《4月から5月にかけて金城幸昭さん(84)=東村=が配属された護郷隊は、米兵の進撃を食い止める目的で石川以北の橋を壊し、松を倒して道路をふさぎました。5月末、夜中に米軍のキャンプを襲撃しました》

 アメリカ軍を通さんという目的で護郷隊は松並木も全部爆薬で倒したわけ。倒したら中南部から馬車で避難して来た人まで通れなくて逆(効果)になってね。アメリカ軍はブルドーザーで片付けていくから、(松を倒しても)関係ないさ。アメリカ軍は僕らが壊した橋を埋めて、あっという間に鉄橋を架けた。

 《6月1日、恩納岳に対する米軍の総攻撃が始まると、三角山の前線にいた金城さんは後方の指揮班隊長のもとに伝令として向かいました》

 6月1日にアメリカ軍の総攻撃が始まった。僕ら小隊だけじゃ足りないから、応援をお願いする伝令として、隊長のもとに向かった。あっちこっちから撃たれる弾の中をくぐって指揮班の所に行ったら、隊長から「ご苦労。応援はいいから撤退するように」と命令された。6月2日に隊員全部が三角山から撤退した。転がるよう降りていったよ。そのまま郷里(東村有銘)に撤退した。
 撤退は日にちがかかった。途中で先輩たちに言い付けられて、喜瀬武原辺りで(米軍が)山の中に捨てた缶詰を探しに行った。僕は友人と2人でいたんだが、アメリカ兵が車を止めて銃を構えて山の中に入ってきた。隣にいた友人が動くもんだから、「何か」と横を見たら友人が一生懸命御願しているわけ。見たらアメリカ兵が後ろに立っていた。何も言わずに車に乗せられた。

※続きは4月27日付紙面をご覧ください。

→<未来に伝える沖縄戦>護郷隊に召集、最前線へ 金城幸昭さん(84)上

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