<未来に伝える沖縄戦>米機爆撃でいとこ死ぬ 上運天賢盛さん(82)下


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サイパン島での戦争体験を振り返り、「どの戦争も悪い」と話す上運天賢盛さん=20日、那覇市首里鳥堀町

 《北マリアナ諸島の一つ、サイパン島で地上戦に巻き込まれた上運天賢盛さん(82)=那覇市首里鳥堀町。家族と離れ離れになり、目の前で義理の叔父を亡くした後、いとこの安徳さん(当時12)と一緒に逃げ回りました》

 (島北部の)バナデル飛行場にたどり着いたら、日本兵に捕まった。「今夜、日本軍が逆上陸するという電報が入った。(上陸できるよう)飛行場を整備せよ」と言われた。でも、爆弾で開いた穴を埋めるための石を真面目に運んでいる住民はいなかった。

 そのうち、飛行機が飛んで来た。「あ、日本兵が言ったのは本当だった」と喜んでいたら、爆弾を落とされた。爆発の光で(飛行機の)胴体の星のマークが見えた。アメリカの飛行機だったよ。いとこの手を引っ張って逃げようとしたら、爆弾が目の前で炸裂した。それが夜の9~10時ごろだと思うんだけどね、目が覚めたら朝になっていた。
 いとこを捜していたら、私がいた所から15メートルぐらい離れた場所にいた。右足の太腿から先が無くなっていた。「ヨシーよ」という言葉だけ聞こえた。一番上の姉の名前を呼んでいた。後は聞こえない。出血多量だと思うんだけど動かなくなって、死んでしまった。
 島の北側、海岸沿いの岩の隙間に隠れて2晩泊まった。外に出たら、(水陸両用の)戦車が海に浮かんでいた。「サイパンの戦争は終わりました。アメリカ兵は紳士です。住民は飛行場に行くか、左側の広場に集まってください。兵隊はカナベラに行ってください。決して殺しません」と放送していた。最初は「インチキじゃないか」と誰も信用していなかった。

※続きは6月29日付紙面をご覧ください。