<未来に伝える沖縄戦>「魂魄の塔」建立に協力 町田初子さん(83)第2話


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終戦後の糸満での遺骨収集作業について語る町田初子さん=9月26日、与那原町

 《金武での避難生活を終え、米軍に連れて来られた糸満には、至る所に戦争の爪痕が生々しく残っていました》

 糸満では捕虜収容用のテントの中で生活した。食料を確保するため畑にイモ掘りに行ったら、畑からはごろごろ人の骨が出てきた。人の死体が肥料になっているのかなあと思うくらいイモもたくさん採れた。当時の真和志村長金城和信の呼び掛けで、遺骨を集めて塔を造ることになった。骨が外に出たままだったら、かわいそうだなと思いながらみんなで集めた。20キロ分くらい入る大きな袋が遺骨で毎日いっぱいになった。その遺骨を集めてできたのが「魂魄の塔」だ。
 ひめゆり学徒が亡くなった壕でも女学生らしき人の遺骨や、鉄かぶとをかぶった日本兵の遺骨も拾った。自分とあまり年齢の変わらない若い人が、兵隊と一緒に戦場を歩き回り、こんな姿で死ぬのかと思ったら、とても悲しかった。
 石の上に上半身だけの日本兵の遺骨もあり、兵隊に召集された自分の父を思い出した。「お父さんはどこにいるのだろう。お父さんもこんな姿になっているのかな」と思い涙が出た。でも毎日たくさんの遺骨を見ていたから、怖いとは思わなかった。

※続きは10月12日付紙面をご覧ください。