<未来に伝える沖縄戦>血染めの川で喉潤す 具志堅トミ子さん(75)〈1〉


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喜屋武岬で兄と弟を亡くした体験を語る具志堅トミ子さん(左)と真剣に聞き入る大城まどかさん(中央)と兼城夏穂さん=10月15日、うるま市栄野比の沖縄アミークスインターナショナル

 南風原町新川出身で現在はうるま市に住む具志堅トミ子さん(75)は、6歳の時に沖縄戦を経験しました。当時の南風原村新川に祖母ら家族8人と暮くらしていた具志堅さんは、10・10空襲後に本島南部へ避難します。避難の途中、艦砲射撃などで多くの兄弟を亡くした具志堅さんの体験を、沖縄アミークスインターナショナル中学校1年の大城まどかさん(13)と兼城夏穂さん(13)が聞きました。
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 1944年10月10日に、10・10空襲と言われる大きな空襲があった。そのすぐ後ぐらいから、船からか飛行機からかは分からないが、爆弾攻撃が増えていって、身に危険を感じるようになった。当時は祖母、母親、兄5人と弟の8人で農家を営んでいた。10・10空襲の後には屋敷内に簡単な壕を掘った。米軍上陸後与那原の方からも爆弾が来るようになってね。「もうここにはいられない」と母が言って、家族と隣の家の人の10人で南に避難することになった。梅雨に入る前だったと思う。

※続きは11月8日付紙面をご覧ください。