<未来に伝える沖縄戦>「きれいな水飲み死のう」 久保田宏さん(74)〈4〉


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祖母と母を亡くし、祖父と弟と生き別れになり、「戦争をやっていいことは何一つなかった」と語る久保田宏さん=5月、糸満市米須の自宅

 《摩文仁村(現糸満市)米須にあるアガリン壕近くで妊娠中の母を亡くした久保田宏さん(当時4歳)は、防衛隊にとられていた父清さんとアガリン壕で再会します。腰をけがしたため、隊から離れることになったそうです。久保田さんは最初、家族6人で行動していましたが、気付けば4人になっていました》

 父はアガリン壕に着いて祖母の姿がないのを確認してから、ガマを出て探しに行ったみたいですね。ガマから数十メートル先にある、道のくぼみに祖母はしゃがみこんでいて、父が顔に手を触れると、そのまま崩れ落ちたそうです。父が聞いた話によると、祖母は知り合いを探しにガマを出て爆撃でやられたそうです。

 《ガマの中では食べるものもなく、ひもじい思いをすることになりました。父の清さんは、子どもたちのために、どうにかして水を調達しようとします》

 水がないもんだから、おとうはかつお節を持っていって「水と交換してください」とまわりに言うんだけど、みんなも水が大事だから誰も換えてくれない。仕方ないから、そこから離れた所に水源地があって、そこに父は水をくみに行った。その水を僕たちは「おいしい」と言って飲んでいた。戦後に父から話を聞くと、水源地には死体が集まっていて、時間がたつと腐って飲めなくなっていたようです。

※続きは6月14日付紙面をご覧ください。