<未来に伝える沖縄戦>人の心は動物以下に 前原生子さん(79)〈5〉


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「弾が落ちる時のいやな臭いが今でも焼き付いている」と話す前原生子さん=6月28日、那覇市天久の琉球新報社

 《南部で父を、次いで母と祖母を亡くし一人になった前原(旧姓・渡慶次)生子さん(当時9歳)は、見知らぬ大人たちの後をついて行きます》

 《南部で父を、次いで母と祖母を亡くし一人になった前原(旧姓・渡慶次)生子さん(当時9歳)は、見知らぬ大人たちの後をついて行きます》

 ぼうぜんと立ってはいられないから、大人の後をついて行きました。ついて行く間にも米軍の飛行機が来て、歩いている人を見たら機銃(掃射)する。だから飛行機が来たら死んだふりをするとか、動かずにじーっと待っていました。
 海岸に出て砂浜を歩いていたら、沖合にいたアメリカの大きな船が私に向かって機銃を撃ってきました。弾は当たらず水際がバラバラッとなっていました。子どもだったから当てようと思っていなかったはずね。
 歩いていたら馬小屋に着いて、平屋の家にいた奄美大島出身という3人の男の人たちがいました。芋を炊いていて、食べさせてもらいました。一晩泊まって、翌日3人はサバニで奄美へ帰ると言ったので、私も連れて行ってほしいとお願いしたけど聞かんふりをして行ってしまいました。

※続きは7月12日付紙面をご覧ください。