<用語>牡丹社事件


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 琉球王府時代の1871年、宮古船が首里王府に年貢を納めた帰り、台風で台湾南部の八瑶湾に漂着。乗員69人のうち3人は水死。残り66人は先住民族、パイワン族の集落、牡丹社に助けを求めたが54人が殺害された。逃げて生き残った12人が助けられ、中国の福建省を経由し那覇に帰った。この事件がきっかけとなり明治政府は74年に「台湾出兵」を行った。