二・二八事件


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 1947年、台北市の警官の発砲事件をきっかけに本省人(台湾在住の人々)による、外省人(中国大陸から渡った人々)や国民党への抗議行動や暴動を含む大規模な抵抗運動が2月28日から台湾全土に広がった。これに対し国民党政府は武力による大規模な掃討と鎮圧を行い、2万人以上の死者を出したといわれるが、実数は明らかでない。この時の戒厳令は87年まで続き、事件は言及をタブー視されたが、92年に真相究明の報告書が作成され、李登輝総統=当時=が遺族に償った。