<用語>国場君れき殺事件の無罪判決


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 1963年5月1日、軍人・軍属に関する刑事裁判を取り扱う軍法会議で、トラックで国場君をはねて死亡させた米兵に無罪判決が出た。

米兵は「信号機の色は太陽の光が後方の壁に反射して識別できなかった」と主張。裁判は傍聴できず、判決文も明示されなかった。裁判の公平性が問われ、県民による抗議集会が開かれた。米国統治下では県民が米兵による事件・事故の犠牲になっても沖縄側に捜査権はなかった。