宿道


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 琉球王朝時代(1429―1879年)に造られた首里を基点に各地に延びる道路で、国頭、中頭、島尻の各方面へ東西道路が整備された。道幅は約2・4メートルで、両側には約1・8メートルの幅が取られ、松並木が造られていた。東西道路は、東宿(あがりじゅく)、西宿(いりじゅく)と呼ばれ、国頭への東宿の場合、中部の西原より宜野湾、沖縄市の越来・美里、金武、名護市の久志・羽地、大宜味、国頭が経路。西宿は浦添、北谷、読谷山、恩納、名護、本部、今帰仁が経路となっていた。