<用語>蔡大鼎(さいたいてい)


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 1823年久米村に生まれる。没年は不明。和名は伊計親雲上(いけい・ぺーちん)。琉球王国時代に中国との外交を担った役人。

琉球救国請願運動の中心メンバーの一人。明治政府による清との冊封・朝貢体制禁止後の1876年に陳情特使として清に渡り、85年ごろまで福州や北京で活動する。漢詩にも優れ、「〓山游草」(びんざんゆうそう)などを残している。

※注:〓はモンガマエに「虫」