久志芙沙子(久志ツル)


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 1932年「婦人公論」6月号に掲載された「滅びゆく琉球女の手記」(原題「片隅の悲哀」)は掲載後、在京の沖縄県学生会の抗議に遭い、翌月号に「釈明文」が掲載され、連載中止に。その後、73年に久志を取り上げた月刊「青い海」のインタビューで「幻の女流作家」と称された。研究者の間ではジェンダーの視点、差別構造を指摘した点などから「釈明文」が評価されている。