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海を越える琉球の交流史、深化 第41回東恩納寛惇賞 真栄平房昭氏の業績


海を越える琉球の交流史、深化 第41回東恩納寛惇賞 真栄平房昭氏の業績  真栄平 房昭氏
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 沖縄研究の先駆者、東恩納寛惇の功績をたたえ、沖縄を対象とした史的研究で顕著な功績を挙げた研究者に贈る第41回東恩納寛惇賞(琉球新報社主催、第一書房後援)に、琉球大、神戸女学院大元教授の故真栄平房昭(ふさあき)氏(享年67)=那覇市出身=が決まった。専門は歴史学。琉球を巡る東アジア交流史研究が評価された。真栄平氏の業績について深澤秋人沖縄国際大教授に寄稿してもらった。

 真栄平房昭氏は、近世琉球を中心にヒト・モノ・情報の移動を対象とする琉球をめぐる東アジア交流史の研究で優れた成果を残したことが評価され、今回の受賞となった。代表的著書に『琉球海域史論』上下巻がある。1980年代から公表された論文35件をテーマ別に配置して再構成した論文集である。未収録の論考と合わせ、研究業績を紹介する。

ヒト・モノ・情報

 上巻の構成は、第1部「貿易と流通構造論」、第2部「海産物・抜荷・貿易構造論」、第3部「海賊論」、第4部「儀礼・王権論」である。

 第2部には「旅役」知行制の概念を提起、個人貿易の実態を検証した論考を収録する(初出1984、86年)。いずれも研究動向に大きな影響を与えた。第1部第4章では、砂糖が首里王府の換金作物として国産化されたことにより、租税体系が米・砂糖・布に分化し、大坂市場への出荷を通じて幕藩制市場にリンクされたことを指摘した(初出1996年)。また、論文集未収録の「環中国海における琉球の交易品と流通経路」(1993年)では、琉球国産の輸出品である硫黄や反布類の流通を扱い、王府による琉球社会の支配や生産関係と結びついた点が特徴と論じた。

 下巻は、第1部「海防論」、第2部「海域・交流・信仰論」、第3部「書籍・情報論」、第4部「幕末・近代と琉球」からなる。

 第3部第4章では、1853年から1857年の琉球ルートでの太平天国情報について、入手経路や情報源、種類と内容、薩摩藩による幕藩領主層への伝達などを明らかにした。1857年段階では、福州に派遣された存留通事による王府への報告書を引用する。太平天国の乱の戦況だけでなく、戦乱が福州の地域社会に与えた治安悪化の影響を記した点は一連の情報でも特徴的である。『島津斉彬文書』『大日本古文書 幕末外国関係文書』などから太平天国情報を丹念に発掘し、歴史的意味に言及したことで琉球史のみならず日本近世史研究を大きく前進させた(初出1987年)。

 時期的に連続する問題として、第4部第2章では、那覇士族の日記を用い、1860年から1864年の英仏連合軍による北京侵攻、進貢使の福州滞留、商取引の不振、清軍による蘇州奪還について琉球側が詳細を把握していたことに触れた(初出2001年)。

神戸女学院大の研究室で資料に囲まれる真栄平房昭氏=2008年(遺族提供)

史料論

 論文集のテーマには設定されていないが、王府関係史料の史料論にも研究成果がある。現在、『琉球王国評定所文書』全18巻・補遺別巻と『歴代宝案』校訂本・訳注本各15冊が刊行され、尚家文書(那覇市歴史博物館蔵)は複製本が公開されている。

 評定所文書は王府中枢機関の評定所で管理されていた。1879年、琉球併合によって接収され、内務省で保管されていたが、関東大震災で原本のほとんどが焼失する。現存する圧倒的多数は写本である。「琉球王国評定所文書と近代日本の史料編纂(へんさん)事業―失われた琉球史料の痕跡を求めて―」(1991年)では、『大日本史料』と『大日本維新史料』に収録された琉球関係史料の出典記載に着目し、所蔵は内務省所蔵本、典拠は旧琉球藩評定所書類の表示があることを指摘した。評定所文書は焼失まで内務省で死蔵されたわけではなく、史料編纂事業に貸し出されたと述べ、断片は貴重な「逸文」と表現した。

 尚家文書については、「尚家文書を調査した先駆者の足跡について」(2008年)がある。維新史料編纂会スタッフの森谷秀亮による1934年の出張復命報告書をもとに、森谷が沖縄尚家邸(中城御殿)で史料調査を実施したことを紹介した。首里城から移された王府関係史料が「維新史料蒐集(しゅうしゅう)」の対象だったのである。史料群は1945年の沖縄戦で焼失した。現存する尚家文書は東京尚家邸に伝来したものである。

 さらに、論文集下巻第4部第3章では、尚家文書1103号を用い、王府保管の外交文書集『歴代宝案』238冊が東京へ移送された際の手続きに言及した(初出2018年)。琉球処分官松田道之の借り入れの求めに応じ送付するので、貸し渡してほしい旨を沖縄尚家邸から東京尚家邸の関係者に連絡している。しかし、返却されることはなく、関東大震災で焼失した。現存するのは久米村保管本の系譜である。

新たな歴史像

 真栄平氏には論文集のほか単著『旅する琉球・沖縄史』がある。『月刊 榕樹』(一般財団法人兵庫沖縄協会)での連載「シリーズ 沖縄歴史の散歩道」を一書にまとめたものである。五つの章に歴史コラムや時評が並ぶ。「琉球史への旅」は現地調査の記録および研究の備忘録である。歴史の場を訪れること、思いをはせることを大切にされた。

 同氏には、清代の北京を訪れた琉球使節を扱った成果が複数ある。内容は二つに大別される。日本側でまとめられた琉球使節の中国見聞録の紹介、琉球使節が内陸アジア世界と接触していた事実関係の提示である。満洲族の王朝である清朝の統治者は、中国(漢族)の皇帝だけでなく、モンゴルの大ハーンやチベット仏教の檀家(だんか)の顔も持っていた。

 「琉球史への旅」の「北京に旅した琉球人―チベット仏教寺院を訪ねる―」では、琉球使節が皇帝へ献上した琉球漆器が19世紀初頭に白塔(チベット式仏塔)のある永安寺に移管されたこと、19世紀後半、久米村系士族が雍和宮を訪れ、金色に輝く弥勒菩薩立像の強烈な印象を漢詩に残したことを紹介した。琉球使節は東アジアの朝貢使節であるが、内陸アジア世界との接点を体感していたのである。新たな歴史像構築の必要性を示唆するように思える。

 真栄平氏からは相手におだやかに接する物腰とその人格から多くを学んだ。そして、残された数多くの論考は琉球史研究にとってかけがえのない財産である。最後に、同氏は、1997年度から2017年度まで沖縄県歴代宝案編集委員会委員をつとめ、「琉球・中国交渉史に関するシンポジウム」でも発表を4回行い、『歴代宝案』校訂本・訳注本の編纂事業に大きく貢献したことを記しておく。 (沖縄国際大学教授)


<略歴>

 まえひら・ふさあき 1956年生まれ、那覇市出身。琉球大卒、九州大大学院博士後期課程単位取得満期退学。神戸女学院大教授、琉球大教授を歴任した。肺がん闘病中の2020年に研究仲間らが協力し、これまでの論文をまとめた大著「琉球海域史論」上下巻が発刊された。21年に同著で伊波普猷賞を受賞。23年12月30日に67歳で死去した。故人の東恩納寛惇賞受賞は2例目。父の故房敬(ぼうけい)氏も1996年に首里城の生活史的研究で東恩納寛惇賞を受賞している。

<真栄平房昭氏の主な著作>

 【単著】「琉球海域史論」上下巻(榕樹書林、2020年)▽「旅する琉球・沖縄史」(ボーダーインク、2019年)

 【共編著】「新しい琉球史像」(榕樹書林、1996年)▽「近世日本の海外情報」(岩田書店、1997年)▽「近世地域史フォーラム1 日本列島の北と南」(吉川弘文館、2006年)▽「沖縄県史 各論編4 近世」(沖縄県教育委員会、2005年)▽「琉球船漂着者の『聞書』世界―『大島筆記』翻刻と研究」(勉誠出版、2020年)

 【解説】「アルセスト号朝鮮・琉球航海記」(榕樹書林、1999年)


<用語>東恩納寛惇賞

 沖縄研究の先駆者で歴史家の東恩納寛惇(1882~1963年)にちなみ、沖縄の人文、社会の分野の史的研究に顕著な業績を挙げた研究者に贈呈する。琉球新報創刊90年を記念し、1983年に創設された。


13日に新報ホールで贈呈式 午後6時半

 第41回東恩納寛惇賞の贈呈式が13日午後6時半、那覇市の琉球新報ホールで開催される。午後6時開場。受賞した真栄平房昭氏の家族が出席する。一般の参加もできる。受賞への花束も受け付ける。選考委員の豊見山和行琉球大名誉教授が真栄平氏の業績について報告する。問い合わせは統合編集局文化芸能班、電話098(865)5162(平日午前10時~午後5時)。