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【寄稿】等松春夫 教養の共有が急務 民主主義国家の軍人の姿


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 まもなく「先の大戦」の敗戦から79年になる。この戦争では約230万の軍人のみならず、日本本土、中国東北部、朝鮮半島、樺太、南洋諸島、そして沖縄で80万以上の国民が死亡した。「鉄の暴風」と呼ばれる凄惨な地上戦が荒れ狂った沖縄では、戦闘員と非戦闘員合わせて12万以上の県民が戦火に斃(たお)れた。これは当時の沖縄県人口の4分の1にも上る。沖縄県民で身内に戦没者がいない人はいないであろう。

「先の大戦」

 筆者は冒頭であえて「先の大戦」という語を使用した。「太平洋戦争」「大東亜戦争」「アジア太平洋戦争」等いかなる名称を使用しても、あの複雑極まりない戦争を包括的に説明できないからである。戦後長らく使われてきた「太平洋戦争」では、戦場が太平洋に限定され、この名称の背後には「軍国日本を破ったのは民主主義の米国」という歴史観が透けて見える。

 一方、「大東亜戦争」とは戦時中の日本における公式名称で、「アジアから欧米帝国主義を駆逐し、日本を盟主とする共同体(=大東亜共栄圏)を建設する」というイデオロギーが反映されている。一見客観的に見える「アジア太平洋戦争」だが、強調点は「アジア」にあり、この「アジア」は暗に中国をさす。「中国人民の粘り強い抵抗が、日本軍国主義を打倒した」という歴史観である。1931年の満洲事変から1945年の日本の敗戦までを連続したものととらえる「15年戦争」という名称も、同様のイデオロギーと無縁ではない。

 筆者にとって懸案だった「先の大戦」をめぐる自衛隊の動向が、このところ俄(にわ)かに注目されている。年初には陸上自衛隊の高級幹部たちが公用車を使用して靖国神社に参拝した。陸自第32普通科連隊の公式X(旧ツイッター)では「大東亜戦争」という語が何らの留保もなく使用され、那覇駐屯の陸自第15旅団のホームページには、沖縄戦を戦った旧帝国陸軍の第32軍司令官、牛島満中将の辞世の句が載せられていたことが判明した。これでは現在の陸上自衛隊が「大東亜戦争」を戦った「大日本帝国陸軍」と連続しているような印象を与える。印象どころか、海上自衛隊に至っては公然と「大日本帝国海軍の継承者」を自任しているのである。

「議論の前提」

 たしかに、かつての帝国陸海軍も現在の自衛隊も日本人が作った軍事組織という点では共通性がある。しかしながら大日本帝国は敗北し、帝国陸海軍は国民を守ることができなかった。現在の日本はこの反省の上に立って再出発したのであり、自衛隊は帝国陸海軍の失敗の教訓から多くを学ばねばならないはずである。

 話を沖縄戦に戻すと、大本営が第32軍に与えた命令は、日本本土の防備を固める時間を稼ぐため、一日でも長く米軍を拘束することであった。そのため牛島司令官は5月末に首里陣地を放棄した後も、残余の部隊を沖縄南部に撤退させて、さらに1カ月抗戦を続けた。沖縄県民の死亡者の多くは、実にこの1カ月に生じている。それでもなお、この事実だけをもって、牛島の存在すべてを断罪することは正当ではないだろう。

 牛島は帝国陸軍という組織の中にあっては模範的な軍人であった。「軍官民共生共死」の方針のもと大本営の命令を忠実に遂行し、最後は敗北の責任を取って自決した。個人としては高潔な人格だったようである。そして米軍も、沖縄戦における牛島の指揮について戦術的には高い評価を与えている。

 だが同時に、第32軍が沖縄を守りきれず、県民に多くの犠牲を強いてしまったことへの反省が(関係者の証言はさておき)明示的な記録としては残されていないことも、牛島をめぐる事実のひとつだ。

 その牛島司令官の辞世の句を、沖縄駐屯の陸自部隊が、何らの注釈もなくホームページに掲載していたことは、県民が払った膨大な犠牲と、戦後数十年にわたる沖縄県の苦難の歴史を考えると、あまりにも無神経であると言わざるを得ない。

 一方、牛島中将とは対照的に、現在の視点からも肯定的に評価されている旧帝国軍人が太田實海軍少将である。沖縄方面根拠地隊の司令官として小禄半島で県民と共に戦った太田は、自決直前に本土へ訣別電を送った。その中で太田は県民の献身と犠牲に感謝した上、「沖縄県民斯ク戦ヘリ。県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」と結んだ。この文面には県民を守るべき軍が、その使命を果たせなかったことに対する悔悟の念が滲み出ている。帝国陸軍の価値観の中で完結していたように見える牛島に比べ、太田にはより広い視野と良識があったと言えよう。自衛隊に必要なのは、「軍とは国民を守るもの」という、太田のような健全な常識なのである。

 「健全な常識」をリアリズムと呼ぶとすれば、沖縄県民を含む日本国民の基本的人権が保障されているのは、民主主義国家・日本の独立が維持されているからである。主権国家の独立の維持には実力組織が不可欠である。「先の大戦」の敗戦から80年近く日本は独立と平和を維持してきた。米国との緊密な協力関係を維持しつつ、自衛隊という実力組織が国外からの脅威を抑止してきたのが、その実態である。本紙を含む沖縄の主要メディアは、まずこの「議論の前提」を認識すべきである。そして、ときには揚げ足取りのようにさえ感じられる自衛隊批判の筆鋒(ひっぽう)を同時に、たとえばオール沖縄会議や玉城デニー知事のリアリズムを欠いた政治的パフォーマンスに対しても向けるべきではないか。

本末転倒

 それと並んで、自衛隊の歴史健忘症は深刻である。1945年の敗戦から再出発したわが国はもはや「大日本帝国」ではなく、民主主義国家「日本」である。戦わずして侵略を抑止してきたことにこそ、民主主義国家の軍隊の存在意義がある。

 かつての帝国陸海軍の正式名称は最後まで「国軍」であった。しかし、煽情的なメディア、戦争熱に浮かされた世論、増長した一部の高級軍人たちのために「国軍」はいつしか「皇軍」と称するようになってしまった。その挙句は「皇軍が守るのは国民ではなく国体」と主張するような本末転倒の組織に堕落し、多くの国民を無惨な死に追いやった。空虚な「国体護持」のために、沖縄の老幼婦女子が死ななければならなかった道理はまったくない。

 したがって、自衛隊の幹部が無批判に「大日本帝国」「大東亜戦争」的な言説を弄(ろう)することや、自衛隊の一部の教育機関や部隊が「大東亜戦争」的な歴史観を持つ人々を講師として招聘(しょうへい)し続けているのは不健全である。この現象の背景には人文・社会科学的な教養を軽んじる防衛省・自衛隊の硬直した官僚的な体質がある。

 自衛隊は「先の大戦」の負の歴史を学んだうえで、民主主義国家の軍隊として何を守るのかを真剣に再考せねばならない。軍事専門職としての技能だけではなく、日本国民としての良識を持つ「軍服を着た市民」であることが、民主主義国家にふさわしい軍人の姿である。

 そして、情緒的な反発により自衛官を疎外し、彼らが「軍服を着た市民」になる契機を阻み続けて来たメディアとアカデミアも猛省すべきだ。民主主義国家・日本の独立と平和を守るには沖縄県民と自衛隊、そしてメディアがリアリズムに基づく健全な教養を共有することが急務である。


 等松 春夫(とうまつ・はるお) 1962年生まれ。防衛大学校人文社会科学群国際関係学科教授。筑波大学、早稲田大学を経てオックスフォード大学で国際関係論の博士号を取得。NATO国防大学研修修了。2009年より防衛大学校で政治外交史、日本外交史、戦争史などを教えている。