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<書評>『火難の首里城 大龍柱と琉球伝統文化の継承』 龍柱の正面向き説、論拠詳細に


<書評>『火難の首里城 大龍柱と琉球伝統文化の継承』 龍柱の正面向き説、論拠詳細に 『火難の首里城 大龍柱と琉球伝統文化の継承』狩俣恵一、田場裕規編著 インパクト出版会・2750円
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 首里城跡に琉球大学のキャンパスがあった頃、友人の案内で発掘作業中の現場を見学したことがある。柱跡などが並ぶ広大な遺構を見ながら、ここに首里城があったのかと深く感動した。その後、1992年に首里城は再建されたが、2019年に正殿などが火災により焼失してしまった。再建される日が待ち遠しい。

 最近、首里城正殿前に建つ大龍柱が「相対向き」であったか「正面向き」であったかという問題が注目されている。1992年の平成の復元時には相対向きで再建された。相対向き説は「寸法記」(1768年)や「御普請絵図帳」(1846年)の絵図に描かれた向きが相対であることを主たる根拠とする。対して正面向き説は、これらの絵図は実測に基づく厳密なものではないことなどを示して反論している。

 本書には正面向き説の論拠が詳細に記されているが、大龍柱の向き問題に加えて、琉球伝統文化継承の問題も学ぶことができる内容となっている。中国の紫禁城や日本の平城京・平安京の南向きと異なり、首里城はなぜ西向きなのか、大龍柱の向きにはどういう意味があるのかなどの問題の背景に風水思想があることや、首里城正殿は神アシャギに当たる聖なる空間であることなどを指摘しており、極めて興味深い。

 大龍柱が石垣島桃林寺の仁王像(1737年造)のように阿形(あぎょう)と吽形(うんぎょう)になっている点も注目される。また、ルヴェルトガが1877年に首里城の写真を撮った際の紀行文の全訳と解題も掲載されている。この写真は正面向き説の決定的な証拠となっている。

 2000年、首里城跡などがユネスコの世界文化遺産に登録された。これは、歴史的に正しい根拠に基づいて首里城を再建する義務が生じたことを意味する。大龍柱の向きの問題が学問的に再検討され、正しい根拠に基づいた向きで再建されることを願う。後世の学者たちは令和の再建時の判断をどう評価することになるのであろうか。

 (原田信之・新見公立大教授・奄美沖縄民間文芸学会代表委員)


 かりまた・けいいち 1951年竹富島生まれ。沖縄国際大名誉教授、同大南島文化研究所特別研究員。

 たば・ゆうき 1972年那覇市生まれ。沖縄国際大教授、同大南島文化研究所所員。