prime

どんな時でも、安心して暮らしたい 鈴木陽子(沖縄愛楽園交流会館学芸員)<未来へいっぽにほ>


どんな時でも、安心して暮らしたい 鈴木陽子(沖縄愛楽園交流会館学芸員)<未来へいっぽにほ>
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 もう、何十年も前。「健康しか取り柄(え)がないのだから」と、風邪をひかないよう気遣われました。その言葉に自覚的な悪意はないと思いつつ、それでも「私は風邪も引いてはいけないのか」との思いを捨てることはできませんでした。そして「健康」を優劣の尺度に置く語り口に、人々に深く染みこんだ優生思想を感じました。「健康」でなくなった私には存在の意味がないというのでしょうか。

 優生思想は国力増強と密接です。戦時下、強い兵力を持つために健民健兵が言われ、戦後は強い経済力を得るために生産性が求められました。

 1948年に優生保護法が施行され(沖縄では72年)、障害を理由にした強制不妊手術や、非合法に行われていたハンセン病患者・回復者に対する断種堕胎(優生手術)が合法化されました。

 「優生保護法」は「らい予防法」廃止の96年に廃止されました。2001年の「らい予防法違憲国家賠償請求訴訟」後、ハンセン病療養所で行われた優生手術について調査が行われ、「不良な子孫の出生を防止する」ための優生保護法を、感染症のハンセン病患者に適用した矛盾が言われました。しかし数年前まで、ハンセン病患者・回復者以外に強制された優生手術へと議論は広がりませんでした。

 マイノリティの繫(つな)がりはさまざまにありますが、ハンセン病をめぐる人々も多様なマイノリティーをめぐる人々と繋がることができると思うのです。そこから、誰もが安心して暮らす社会を考えたいのです。

 さて、4月から4人で書き綴(つづ)ってきたコラムも今回で最後です。半年間、ありがとうございました。