死を予兆する不思議な音とは・・・<112年前の沖縄の怖い話「怪談奇聞」>8


死を予兆する不思議な音とは・・・<112年前の沖縄の怖い話「怪談奇聞」>8
この記事を書いた人 Avatar photo 熊谷 樹

朝晩は少し涼しくなってきましたが、まだまだ沖縄では暑い日が続いています。背筋をソロリとなでるような怪談で涼しくなってみませんか?

明治から大正に改元した1912年8月5日、琉球新報で突如連載が始まった「怪談奇聞」。読者に投稿を呼びかけ集めた〝実話系〟怪談は、約1カ月34回にわたって連載されました。当時の琉球新報社には毎日2、3通の投書が届くほどの人気ぶりでした。

1912年の沖縄は、明治時代から続く風俗改良運動や旧慣改革で日本への同化政策が進められ、近代化と差別の間で揺れ動いた時代でした。「琉球王国」の名残を色濃く残した「沖縄」のリアルな怪談を紹介します。

連載第8回目は死人が出る前に毎回聞こえる音にまつわる話です。

文章は当時の表現を尊重していますが、旧字や旧仮名遣いは新漢字、ひらがなに変換し、句読点と改行を加えています。

怪談奇聞(八)
幽霊の手笛は死の前兆

私は国頭名護のものでござります。幽霊の形はかつて見たことはありませぬが、不思議な物音-沖縄ではチグト(不吉を予告する音という意)いうやつはたしかにあると信じてる。今その実例を上げて紹介しようと思います。

戦前の名護町の様子。ナングスク(名護城)から名護湾を臨む(那覇市歴史博物館提供)

明治十九年八、九月に当地にコレラ病が流行し、当名護字は名護村中で一番患者が多かったので、従って死亡者も多かった。そこで字中の無病者は皆、開墾地に逃げて難を避け、字には患者の家族のみ残っていた。道の辻々は縄を引っ張って通行遮断をなし、昼も夜も警官と役所員、役場吏員のほか人影も見えなかった。

時に私はちょうど十三歳でありました。不幸にして私の家も父と姉及び私の三名虎疫(コレラ)に冒されたが、幸いに三名中一人も死なずに逃れた。しかるに字より虎疫に倒れるものは毎日二、三名ありました。

人の死なんとする夜は必ず手笛が聞こえるので、この手笛は人間の手笛と異なりて始めは音高く終わりは次第に低く必ず三度で一、二度は強く聞こえるが三度目にはごくかすかに聞こえるのである。翌日にはまた人が死ぬわいというと、必ずその音のした内より死人があったのである。前、申し述べた通り昼夜人間の通行もなき道路においてことさら真夜中に手笛が聞こえるはずがない。これが何より不思議に思っていたのであります。

それから五年経ちて二十四年の八月に私は夜の十二時頃、他より帰りて家に入らんとする刹那、例の不思議な手笛と同様な音がしたので、私は直ちに戸を開けて爐(ろ)の火を起こした。親は何か何かとしきりに尋ねるから、「妙な手笛が鳴ったから驚いて火を起こした」と告げて、その夜は寝についた。

翌朝目覚めて両親の傍に座っていると近所の人がやってきて、両親に向かって言うには、「昨夜不思議な音があったが方向は西の方である」などと話すと、両親は驚き、「うちの子供も不思議な音を聞いたと火を焚いていました」と答えている中、西隣りの五十位の婆が今死んだという通知が来ましたから、昨夜の手笛は婆の死ぬ前兆であったかと皆々話し合った次第であります。

で私は幽霊の形は見たことはありませぬが、手笛の音は今に不思議に思っています。(名護の人)

投書歓迎 本社怪談奇聞係宛のこと。

「怪談奇聞」(八)=大正元年八月十二日付琉球新報三面

怪談の余録 虎疫(コレラ)

コレラは感染症法の第3類感染症に指定されている法定伝染病で、嘔吐と下痢を主な症状とする急性感染症腸炎です。1817年から何度も世界的な流行が記録されています。沖縄では廃藩置県のあった1879年の大流行を皮切りに、怪談にある明治19年(1886年)、明治35年(1902年)、明治45年(1912年)と流行し、多くの死者を出しました。

(次回は9月13日に掲載)