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「不屈の政治家」素顔迫る 佐古忠彦さん(映画「カメジロー」監督) 〈ゆくい語り・沖縄へのメッセージ〉21


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佐古 忠彦監督

米統治下の圧政に立ち向かった政治家・瀬長亀次郎氏の軌跡をたどった映画『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名はカメジロー』の公開から2年余。続編の『カメジロー 不屈の生涯』も県内外でヒットしている。制作の狙いについて、佐古忠彦監督(54)=TBS報道局ディレクター=は「前作に盛り込めなかった人間・亀次郎さんの素顔に迫りたかった」と語った。

新たに発掘した映像や音声、膨大な日記がハーモニーを成し、亀次郎氏と沖縄の民衆の歩みが活写されている。佐古監督は「日本復帰への道筋を開いた沖縄の民衆が勝ち取った民主主義を引き継ぎ、亀次郎さんを通してこの国の在り方を問いたい」と力を込めた。

「勝ち取った民主主義」引き継ぎたい

―「カメジロー 不屈の生涯」の沖縄初上映の感想を聞きたい。

「上映1時間前から長蛇の列をつくっていただき、どれほど多くの人が亀次郎さんを待っていたのかを実感した。第1作(「米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名はカメジロー」)から2年たったが、当時(米軍統治下)を共有した方々の心が通じ合う形がいろいろと見えた。今作でも涙ながらに『作ってくれてありがとう』と語る方もいて、思いも寄らない言葉をいただき、感激した」

―前作は県内で2万人が鑑賞し、多くの賞を受け、評価が高かった。続編の制作を思い立ったのはなぜか。

「前作を鑑賞した方々の『もっと人間・亀次郎を知りたい』という言葉が頭から離れなかった。闘う政治家の姿はもちろんだが、家族と過ごす父親像など、素顔を伝えたかった。改めてTBSなどの記録映像や音声、アーカイブを洗い直すと、1作目にたどり着けなかった記録が出てきた。眠らせるのはもったいないと思った。時代を経てさらに価値が高まるものがある。それが亀次郎さんであり、『俺はここにいるぞ』と呼んでくれたように思う」

戦後史詰まった日記 国の在るべき姿問う

「不屈館」に掲げられた瀬長亀次郎さんの写真の前で語り合う佐古忠彦さん(左)と次女の内村千尋さん。千尋さんは「瀬長家は丸裸にされた」と笑った。三女からテレビを早く買うよう迫られ、困り果てた父が「(娘は)一歩も引かない。団交である」と記した日記も作中で紹介される=8月16日、那覇市若狭の「不屈館」

―制作前に読み解いた亀次郎さんの230冊の日記は映画の構成にどう反映したか。

「プライベートも多く書かれつつ、沖縄の戦後史が詰まっていた。今作は日記の記述から戦後の歴史を引き出す、歴史を引っ張ってくる手法を取った。例えば、1962年12月に嘉手納基地近くに米軍機が墜落した事故を象徴的に描いた。日記に『6歳の子の目が駄目だそうです』と書かれている。戦後史の中ではあまり注目されなかった事故だが、亀次郎さんは詳細に記し、ありきたりな謝罪を繰り返す米軍に対する激しい怒りをつづった。米軍の重大事件・事故のたびに四軍調整官が知事らに謝罪する今の沖縄の状況と重なる」

―1967年2月、教職員の政治活動を制限する教公2法案(廃案)をめぐる立法院周辺の攻防を長回しで伝えた。その意図を聞きたい。

「機動隊のごぼう抜きで市民が排除された後、2万人が駆け付け、形成が逆転する。あの民衆の熱は民主主義を勝ち取っていく一場面だと思う。日本復帰に向けて一瀉千里(いっしゃせんり)のごとく民衆運動が爆発していくが、瞬間瞬間の積み重ねがあり、県民は復帰を成し遂げた。与えられた民主主義でなく、勝ち取った民主主義の姿が米軍統治下のあの時代にあったことをきちんととどめ、引き継いでいきたいと思った。戦後史を俯瞰(ふかん)することで今を見ることができると感じる。前作から通底するテーマだ」

―作品を通して、本土の観客に感じてほしいことは何か。

「辺野古のニュースが流れるたびに『また沖縄の人たちが反対している』という、本質を見ない批判が出る。なぜ本土と沖縄の溝が深まるのかを考えた時、沖縄の苦難の戦後史が本土側にすっぽり抜け落ちていると思えた。亀次郎さんを通して沖縄戦後史を見れば、与えられた民主主義の本土との価値観の違いの根源が照らし出される。人権と自治を取り戻す闘いの先頭に立った亀次郎さんの姿を通し、本土に抜け落ちているもの、国の在り方を問い掛けたい」

―ジャーナリズムが底流にある作品だと思う。監督として、歴史の証言者という意識はあったか。

「メディアの最大の役割の一つは二度と戦争を起こさせないことだ。亀次郎さんもこだわっていたように、2作品も不戦の思いからスタートしている。今、民主主義の形を示す現場であり続けているのが沖縄だが、向き合わない中央がある。多数決の上にあぐらをかいていいのか。小さな力でも積み上げることでこの国の在り方、民主主義の質を問う材料を提示することが歴史の証言者、記録者としての仕事だろう」

今の政権で低下する相手を認め論ずる力

沖縄に寄り添う報道が特徴だった「筑紫哲也 ニュース23」。筑紫さん(左)と生中継に臨み、サブキャスターとしてニュースを伝える準備をする佐古忠彦さん=2006年、東京都港区赤坂のTBS(佐古さん提供)

―亀次郎さんの魅力は何か。

「刑務所に入れられても、那覇市長から追放されても闘う道を整え、常に先を見て備え、それが実現する。その先見性に不屈でいられる原点があると思う」

―編集を加えない12分間に及ぶ佐藤栄作首相との質疑を、観客は居住まいを正して見ていた。

「2人のガチンコ勝負をそのまま伝えた。亀次郎さんの研ぎ澄まされた言葉が、沖縄戦の惨禍、米軍の圧制下のさまざまな出来事をよみがえらせ、ひもとく象徴的な場面だ。亀次郎さんが歩んだ一本道は、無残に犠牲になった沖縄の同胞の魂に報いる道であることを映し出した」

―亀次郎さんに正面から向き合い激論に臨む佐藤首相も印象的だった。今の政権と何が違うのだろうか。

「『相手を認め、論じ合う力』の低下だろう。それは、沖縄の民意に対する姿勢に通じる。本土側の戦後史の認識欠如が誤解や無理解による言説を生み出す一因だが、正面から歴史に向き合い事実認識を共有しなければ、まっとうな議論はできない。まさに、現在の政治の場にそれが表れている。今の国会の体たらくゆえに当時の佐藤首相の答弁姿勢は目を見張るものもある。だが、亀次郎さんが『総理や自民党は返還協定に反対とは、復帰に反対か、というのはとんでもない』と批判した論理のすり替えは、現代の『辺野古に反対するなら普天間は固定化でいいのか』という論理に引き継がれている。まさに歴史から今が見える」

―ニュース番組で長く共演した故・筑紫哲也さんから得た糧は何か。

「筑紫さんはあれをやれという指示をしなかった。自由な取材をさせてもらい、沖縄の問題を掘り下げるチームの力が上がった。『この国の矛盾が詰まっている沖縄から日本が見える』『まともなジャーナリストなら、沖縄にはまることは当然だ』という言葉を胸に刻み、さらに深く沖縄取材を続けたい」

(聞き手 編集局長・松元剛)

さこ・ただひこ

1964年、神奈川県川崎市生まれ。88年東京放送(TBS)に入社。96年~2006年、「筑紫哲也 ニュース23」でサブキャスターを務める。現報道局プロデューサー。17年に映画「米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名はカメジロー」を監督し、文化庁映画賞・文化記録映画優秀賞、日本映画批評家大賞ドキュメンタリー賞、日本映画ペンクラブ賞(文化部門第1位)など多くの賞を受けた。

取材を終えて 不条理克服に注ぐ情熱

経済部長・与那嶺松一郎

「不屈の生涯」は優れてジャーナリスティックな作品だ。佐古さんはヒットした前作の観客から「かっこ悪いカメジローも見たい」と言われたという。今作には「素顔の瀬長亀次郎」が幾度も顔を出し、ほほえましい家族愛も描かれる。そして、常に弱い立場の住民の側に立ち、「民衆の海を泳いでいた」(比屋根輝夫琉球大学名誉教授)政治家・亀次郎の不屈の気概の源泉を、深い思索が浮かぶ日記を通して見事に浮かび上がらせている。

故・筑紫哲也さんが沖縄に注いだ熱い思いを継ぐ佐古さんの言葉はどれも誠実で深い。民意が無視され、深まる沖縄の不条理克服に寄せる情熱がほとばしるようだった。主権者である県民の熱気が揺り動かした沖縄戦後史、民主主義とは何かを学べる渾身(こんしん)のドキュメンタリーは桜坂劇場で上映中だ。世代を超え、多くの人に足を運んでほしい。

(琉球新報 2019年9月2日掲載)