prime

北朝鮮漁船の沈没 新たな対話のきっかけに<佐藤優のウチナー評論>


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 7日午前9時10分ごろに能登半島の北西約350キロの海域で、北朝鮮漁船と水産庁の漁業取締船「おおくに」が衝突し、沈没した。事故が起きたのは日本海の好漁場である大和堆周辺で、日本の排他的経済水域(EEZ)内だった。

 直ちに水産庁と海上保安庁が北朝鮮船の乗組員を救助した。乗組員は60人で、全員救助された。別の北朝鮮の漁船が現場で引き取った。水産庁と海上保安庁が、北朝鮮漁船員を拘束し、取り調べなかったことに対する批判が一部にある。

 しかし、それは国際法に関する認識を欠いた間違った内容だ。日本のEEZ内においても公海なので北朝鮮船が航行もしくは停止しているだけでは国際法に違反しない。日本のEEZ内において操業する外国漁船は日本政府による明示的許可を得る必要がある。日本は北朝鮮漁船のEEZ内における操業を認めていない。

 しかし、北朝鮮漁船が漁場の探索行為を行っているだけで、実際に水産物を漁獲した現場を押さえたのではない。水産庁の漁業取締船が北朝鮮漁船員を拘束したり、取り調べたりすることはできないという判断をしたのは順当と思う。

 任意の事情聴取なら可能だが、北朝鮮漁船員が拒否すれば、何もできない。水産庁の漁業取締船は、日本の海洋資源を守るために適切な取り締まり活動を行い、衝突事故の発生に関しては人道的観点から全力を尽くして北朝鮮漁船員を救助した。誠実に職務を遂行している。

 もっとも北朝鮮は本件を政治的に利用している。

 〈北朝鮮外務省報道官は12日、同国漁船が日本の水産庁漁業取締船と衝突、沈没した事故を巡り、「日本は意図的に漁船を沈没させて船員の生命の安全まで脅かした」と主張、日本政府に賠償と再発防止を要求した。朝鮮中央通信が伝えた。日本政府は現場を撮影した映像を公表する方向で検討している〉(12日本紙電子版)

 沈没事故が発生してから、北朝鮮が日本に対して要求を行うのに5日もかかっている。北朝鮮が本心から日本が意図的に北朝鮮漁船を沈没させたと認識しているならば、直ちに謝罪と賠償、再発防止措置を要求したはずだ。

 北朝鮮も本件は事故であると認識していると思う。また、日本が意図的に漁船を沈めたと認め賠償に応じる可能性がまったくないことも北朝鮮はよく理解している。にもかかわらず、北朝鮮外務省報道官が日本に対する要求を公の場で表明したのは、この事故をきっかけにして、日本と交渉したいからだと思う。

 北朝鮮には「求愛を恫喝(どうかつ)で示す」という独自の外交文化がある。北朝鮮外務省報道官の声明を逆手にとって、北京の日本大使館が同地の北朝鮮大使館に対して「本件に関しては北朝鮮に事実誤認があるようなので、客観的なデータを提供するとともに事情を説明したい」と働き掛けてみるといい。また、日朝海上事故防止協定を締結しようと呼び掛けてみるのも一案だ。海上事故防止協定ならば、国交がない国の間でも締結できるはずだ。

 現在、日韓関係が緊張している。この状況で、今回の漁船衝突事故をきっかけに日朝間の新たな対話窓口を作る努力をすべきだ。日本と周辺国の間で、緊張を生じさせるような事件や事故が発生した場合には、それを一つ一つ、現実的に解決していくことが重要だ。

(作家・元外務省主任分析官)