「残りの人生を基地問題解決に使いたい」 開店から22年の金物店閉店を決断 名護市辺野古の西川征夫さん 平和学習の場に


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店先に立てた閉店を知らせる看板を前にする西川征夫さん=23日、名護市辺野古

 【名護】沖縄県名護市辺野古区で西川征夫さん(75)が営んできた「辺野古金物店」が10月末で閉店する。オープンした1997年4月は米軍普天間飛行場の辺野古への移設が浮上した直後だった。22年余り、店を経営しながら基地問題の経緯を見詰め、新基地建設反対を訴え続けてきた西川さん。昨年、埋め立て区域への土砂投入が始まり、政府が新基地建設工事を強行する中、「今からでも何かをしなければ」との思いで閉店を決断。商品を撤去した後は、平和学習の場や区民が集まる場にする考えだ。

 西川さんが開店準備を進めていた96年末、普天間飛行場の移設先として辺野古が浮上した。翌年1月に基地建設に反対する区民らと「命を守る会」を結成し、計画撤回を求める署名活動などに取り組んだ。当初は会の事務所がなく、開店前の場所を拠点にした。「区民が主体の運動としてやってきた」と振り返る。

 月日が流れ、区は振興策などを条件に移設容認を示し、区民は移設の是非で割れた。「政府は『地元に寄り添う』と言いながら住民を手なずけてきた。もともと区民は一つだったが、分断されていった」。いろいろな立場の区民や業者が出入りする店で、その変化を見詰めてきた。

 命を守る会は2015年に解散し、開店当時は50代だった西川さんも75歳に。「残り少ない人生を基地問題解決のために使いたい」。閉店後も「区民やいろいろな人が集まれる場にしたい」と語る。

 今年になって書き始めた回想録で移設問題の経緯をつづっている。資料や写真提供に協力する人も出てきた。「私ではなく、辺野古のおじい、おばあを主人公にしていきたい」と平和への思いを込める。
 (塚崎昇平)