首里城再建基金条例 32軍司令部壕の整備必要<佐藤優のウチナー評論>


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 失われて初めてその価値を正しく認識するものがある。首里城がまさにその事例だ。首里城が焼失したことにより、われわれ沖縄人にとって首里城が沖縄と全世界の沖縄人を統合する象徴であることが明らかになった。

 首里城を再建するために、さまざまな行政機関、マスコミなどが募金活動を始め、その累計は既に数億円に達している。数十億円、場合によっては百億円を超える浄財が集まる可能性もあると筆者は考えている。

 最終的にこの募金は県に集約されることになろうが、県が簿外で大量の金を持っているような事態は正常でない。県と県議会が協議し、首里城再建基金に関する条例を作り、募金の管理と使途について明確にしておく必要があると思う。

 その際、重要なのは、沖縄人が主体になって資金を首里城再建に直接投入することだ。焼失した首里城は中央政府の予算によって作られた。当時と比較して、沖縄の経済力は強くなっており、県民の自己決定に対する意識も高まっている。首里城再建に向けた中央政府の善意に対しては、感謝し、受領するのが適切と思う。同時に首里城再建を中央政府だけに委ねずに、沖縄が主体的に参加していくことがとても重要と思う。

 首里城再建は、建物を作ることだけではない。首里城という形で可視化された背後にある琉球・沖縄文化のルネサンスを起こすことだ。この機会に琉球語で書かれた文書資料を整えること、さらに無形文化について情報を集約するなどの作業も進めてほしい。

 首里城の歴史で無視できないのは、沖縄戦で第32軍司令部が首里城の地下に設置されていたことだ。4年前の本紙は司令部壕の状況についてこう報じた。

 〈70年前の沖縄戦で軍事中枢となった第32軍司令部壕。現在は劣化の激しさから調査時などを除き、内部の姿を知ることはできない。向かったのは、県立芸術大首里金城キャンパス近くの斜面に位置する第5坑道の入り口。責任者によると、現在二つしかない立ち入り可能な入り口の一つで、戦中のものでは残存する唯一のものだ。生い茂る野草をかき分け進むと、入り口は目立たない位置にひっそりとあった。〉

 〈責任者が両腕で重そうな厚い扉を開けた。地面はかなりぬかるんでいる。壕内から地下水が湧き出ているからだ。懐中電灯の明かりを頼りに内部をのぞき込むと、天井や左右の壁面にかなり補強工事がされている様子が確認できた。/一方、むき出しになっている岩盤からは風化が進む状況も感じられる。調査期間中も壕内では落石が続き、大きいものでは長さ約1メートルに達したものもあったという。(中略)県による補強工事で劣化速度はある程度抑えられているが、止まったわけではない。調査責任者は「一般公開は難しいが、公開しないまま保存していく方法もあるのではないか」と話した〉(2015年6月10日本紙電子版)。

 この壕には、司令部が摩文仁に移動するときに、負傷、病気などで動けないために自決した日本軍将兵の遺骨が現在も残っているとみられる。軍と行動を共にした沖縄人の遺骨も残っている可能性がある。首里城を再建する機会に第32軍司令部壕に残っている遺骨を収集し、遺族に返還することを検討すべきと思う。

(作家・元外務省主任分析官)