世界に通じるパワー証明 実力者相手、初戦判定負け ロス五輪ボクシング代表 平仲信明さん うちなーオリンピアンの軌跡(4)


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自身が運営するジムで選手を熱く指導する平仲信明=9月9日、豊見城市真玉橋(大城直也撮影)

 「沖縄から世界へ」―。国場川沿いを走る豊見城市真玉橋の国道329号。平仲ボクシングスクールジムの正面に大書された赤い文字に創設者の決意がにじむ。会長は豪腕で名をはせた平仲信明(56)。日大3年時の1984年、米・ロサンゼルス五輪ウエルター級に出場し、プロ転向後は県内のジム所属選手として初めて世界王者に輝いた。

■天性の豪腕

 具志頭村(現・八重瀬町)出身。競技を始めるきっかけは、南部農林高2年の時。学校での遊びの延長でボクシング部の小柄な選手とスパーリングをしたら、パンチが全く当たらない。「腕っぷしが強かったから、頭にきた」。頼ったのは具志頭中時代の先輩で、後にトレーナーとして平仲を世界王者へ導く田野弘(57)=東京在住。自宅駐車場にサンドバッグをつるし、ボクサーの兄・良夫(64)=同=と共に近所の子どもたちにボクシングを教えていた。「一発パンチを当てたい。俺にも教えてくれんか」。ボクサーとしての第一歩は青空の下で始まった。

 弘が「体つきがしっかりしていて、パワーがあった」と評するハードパンチャーの素質はすぐに花開く。4カ月後、初めての大会となった3年時の県総体ウエルター級で頂点に立ち、全国総体も優勝。強烈な右でぐらつかせ、左のフックとアッパーで仕留める。高校時代の勝利は全てKOとRSCだった。

 卒業後は強豪・日大へ。当時県アマチュアボクシング連盟会長の宮城仁四郎(故人)や、後に平仲と二人三脚で世界を取る仲井眞重次(67)=当時沖縄ボクシングジム、現琉球ボクシングジム会長=に「パワーは世界に通じるが、技術が足りない」と進学を勧められた。

 日大ではボディーを絡めたコンビネーションに磨きを掛けた。2年時に全日本選手権とアジア選手権のライトウエルター級で優勝。五輪2カ月余り前の最終選考は決勝で判定負けしたが、実績を評価され、1階級上のウエルター級で代表に選ばれた。「五輪に出られなかったら死んだも同然だった」「悔いのない試合でメダルを狙います」。当時、取材に答える言葉には闘志がみなぎっていた。

開会式後、真っ赤なブレザーを着て他の日本代表選手団と記念撮影する平仲信明(後列左から2人目)。後方には聖火台が見える=1984年7月28日、米ロサンゼルス

■拳の応酬

 20歳で迎えた84年8月1日。ロス五輪の初戦の2回戦の相手はメキシコのヘナロ・レオン。のちの89年にWBO世界ウエルター級王者に就く実力者だった。

 第1ラウンド開始早々から激しい打ち合いになる。左右の連打を浴びせてくるレオンに対し、冷静に上下に打ち分けて一歩も引かない。右フックでぐらつかせ、左ボディーを突き刺す場面もあった。

 「いけ」「もう少しだ」。会場には父・信一さん(95)ら沖縄からの応援団の声援が響いた。

 当時の試合映像には、第2ラウンド終了時、セコンドとの熱気を帯びたやりとりが残されている。

 「相手はむちゃくちゃに手を出してるだけだ。お前も出してやれ! 最後、いいか、いけるぞ!」(齊藤義信コーチ)

 「はいっ」(平仲)

 最終第3ラウンド。闘志をよりかき立てるようにして果敢に攻める。足を使う相手にパンチを入れられるが、最後まで手数は減らなかった。ボディー打ちの感触が良く「勝った」と直感したが、判定で敗れた。

 大学生活を全て競技につぎ込み、たどり着いた夢の舞台。「これで終わりか」。レオンとの最後の握手は、うつむいたままだった。「落ち込んだよ。半年は立ち直れなかった」。ボクシングをやめることも考えた。

■世界の物差し

 ただ、世界の初舞台で確かな自信もつかんでいた。「他の選手も同じ人間で、大して自分と変わらなかった。どうすれば勝てるか、世界の物差しが分かった」という。

 「プロで世界王者になりたい」と翌年3月、活躍の場を移した。仲井眞会長とタッグを組み「沖縄から世界へ」を合言葉にデビュー4戦で日本ジュニアウエルター級王座に就き、9度の防衛に成功。92年4月にメキシコシティーで行われた2度目の世界タイトルマッチで、1回1分32秒という電光石火のKO勝ちでWBA王座を載冠した。資金面やマッチメークで不利性のある離島県のジムで成した快挙は、日本中を驚かせた。

 「死に物狂いでやったら、世界にいけるんだよ」。拳での活躍で裏付けられた言葉には説得力がある。平仲ジムで鍛錬を積む、現在プロ3戦3勝の金城寛季(20)は「会長の経験から受ける影響は大きい。やるからには世界を目指す」と高みを見据える。

 県勢で五輪のボクシングに出場した選手は、平仲を最後にいない。沖縄のジムから世界王座に就いた県出身者もただ一人だ。「沖縄から五輪選手、世界王者を出したいよな」。指導者に立場を変え、今も夢を追い続けている。 (敬称略)
 (長嶺真輝)