辺野古移設は強行、振興は冷遇… 在職最長の安倍首相と沖縄 度重なる民意無視に高まる県民意識とは…


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 歴代最長となった安倍政権の計7年11カ月は沖縄にとって、米軍新基地建設やサンフランシスコ講和条約で沖縄を切り離して主権を回復したことを是とする歴史観の押し付けなどの強行や民意無視の連続だった。その反動として県内では2014年に保革を超えた「オール沖縄」態勢が生まれた。同年の知事選や衆院選などの国政選挙、19年2月の県民投票で辺野古新基地建設反対の民意を示すなど、沖縄の自己決定権に対する県民意識が高まった。

教科書問題

 第1次安倍政権の07年3月、沖縄戦の「集団自決」(強制集団死)を巡る教科書検定問題が表面化した。軍による強制性を削除した教科書検定に対し県内での反発は大きく、同年9月に保革を超え「教科書検定意見撤回を求める県民大会」が開かれ、11万6千人(主催者発表)が集まった。先頭に立ったのが、当時は那覇市長だった故・翁長雄志前知事。市議会や市教育委員会にも呼び掛け「那覇市実行委員会」を設立し自身が会長に就いた。遺族も「沖縄の心を政治の場で表現するようになったきっかけだった」と振り返る。

 普天間返還・移設問題では12年12月の第2次安倍政権発足当初、安倍首相は県民との対話路線を強調したが、徐々に沖縄への圧力を強めた。県内移設に反対する県民世論に配慮せず、在沖海兵隊の駐留根拠や県内移設の必然性について具体的な説明をしないまま、13年には名護市辺野古への移設か普天間の「固定化」かの二者択一を強く迫った。09年の民主党政権誕生を機に「県外移設」を公約にしていた自民党の地元国会議員や県連の県外移設公約を撤回させた。

 13年12月に仲井真弘多知事から辺野古埋め立ての承認を得る際に、仲井真知事が提示した「普天間飛行場の5年以内の運用停止」「オスプレイの県外配備」などの条件に対し、安倍首相は「政府として全力で取り組む」と強調。だがオスプレイ配備の県外移設は実現せず、5年以内の運用停止も期限の19年2月を過ぎた。安倍政権は米側と交渉せず「辺野古への移設を県が反対しており、現時点では難しい」と県に責任転嫁した。

重大局面

 第2次安倍政権は辺野古移設に向けた作業を加速させた。14年8月にボーリング調査に着手。18年12月には土砂投入を開始した。

 県民の反発は強く、知事選や国政選挙など主要選挙では、政権が推す候補に対しオール沖縄陣営が連勝。18年9月には玉城デニー氏が知事選で当選し、改めて辺野古移設に反対する民意が示された。玉城知事は対話による解決を求めているが、安倍政権は埋め立て工事を強行している。

 19年2月には県民投票の投票者の7割超が辺野古埋め立てに反対の意思を示した。玉城知事は3月に安倍首相と面談し「直接示された民意は尊重されなければならない。県民の思いを真正面から受け止めてほしい」と工事の中止を求めたが、安倍首相は普天間飛行場の危険性に触れ「もはや先送りできない」と譲らなかった。

 安倍政権は国政選挙や県民投票で示された民意を無視して工事を続け、県と国による法廷闘争という重大局面を迎えている。沖縄振興を巡っても、安倍政権の露骨なけん制は続いている。県が推進する、与那原町と西原町にまたがるマリンタウン東浜地区の大型MICE施設には沖縄振興一括交付金の活用を認めず、塩漬けにした。

 沖縄関係予算は、13年12月に仲井真知事(当時)から辺野古埋め立ての承認を得る際、「第5次沖縄振興計画(12~21年度)実施期間の沖縄振興予算を毎年3千億円台確保する」と閣議決定。毎年3千億円台の予算は形式上、確保しているが、国の予算で措置すべき那覇空港滑走路増設や沖縄科学技術大学院大学関連分を除けば3千億円を割り込んでおり、事実上の冷遇が続く。オール沖縄陣営の関係者は「沖縄の民衆は民主主義が脅かされる危機感を肌で感じている。理不尽な対応に対する沖縄の怒りは、安倍政権にとって簡単に飲み込めない『とげ』だろう」と指摘した。(明真南斗、松堂秀樹)