珈琲屋台ひばり屋店主 辻佐知子さん 寄り添う友のような場 土地に敬意、表看板は出さず 藤井誠二の沖縄ひと物語(9)


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 カタブイが急にやってきて、雨粒が土の店内を叩(たた)きつけるように空から落ちてくる。じりじりと焼きつけるような太陽光。それを遮(さえぎ)ってくれるのは、店内敷地の真ん中あたりに自生している枝葉を広げている桑の木。敷地の横の民家との境目にはえているメイフラワーは挿し木をしたら、みるみる繁(しげ)った。3月頃には薄紫の花が咲き乱れ、春を告げる。そして辻さんが珈琲(コーヒー)を淹(い)れている屋台を背後から覆うように生えているゲッキツ。

 「この桑の木は最初からあったんです。この土地の雑草や瓦礫(がれき)を撤去していったら株があった。以前の店の敷地も桑の木が自生していましたから、桑の木は店の守り神みたいなものですね。土の上を流れる風はもちろん気持ちいいし、ときどき夕日の時間帯にすごく美しい光が差すことがあるんです」

路地裏の屋台の前でほほ笑む辻佐知子さん。クワの葉陰では、コーヒーを味わいながらゆんたくする人たちの声が弾んでいる=9月、那覇市牧志(ジャン松元撮影)

自然に同化

 辻佐知子さんが那覇で珈琲屋台を始めたのが2004年7月1日。日にちまではっきりと覚えている。最初は国際通りからパラダイス通りへ向かって横道を入った三線屋の駐車場内に、3年間のうちに2カ所屋台を出した。道路に面して、むき出しのかっこうだ。

 地面が土になったのは移転した、3カ所目からだ。アスファルトの駐車場の一角を借りるべくオーナーと交渉しようとしたら、未舗装の土のままの土地も所有しているという。さっそく見せてもらったら、家屋と駐車場の隙間(すきま)が放置してあり、土のままだった。現在の「ひばり屋」は5カ所目で、30年以上前はちいさなスナック等がスージグワの奥にひしめき合うように建っていたらしい。

 「土のままで舗装されてない土地を、ワーっと声を上げてしまうぐらい気に入ってしまいました。それ以降、引っ越すたびに、条件は地面が土であることで探して、路地の奥へと入っていきました。土じゃないと風がぜんぜん違って暑いんです。気温も違う。日陰があれば、涼しいし、猫も来る。太陽からお客さんと屋台と私を守ってくれます」

 まさに雨にも負けず、風にも負けず、だ。いや、逆だ。自然に同化して、雨が降ればそのまま打たれるか、開店時間を遅らせる。台風にあおられて屋台が飛ばされ、ばらばらになってしまったこともある。常に自然の時間にたゆとうように、あらがわぬように辻さんは珈琲を淹れ続ける。

閃き

アイスコーヒーをいれる辻佐知子さん=9月、那覇市牧志(ジャン松元撮影)

 千葉県で生まれ育ち、東京の銀座で働いてきた。飲食業に興味はあったが、仕事上では飲食関係のイベントや展示会で接点があるぐらいだった。むしろ珈琲が苦手だったが、珈琲の企画を担当し、ハマった。自分でも提供したいと思うようになった。会社を辞めたあと、3年ほど日本各地で自分のスタイルはどういうものかを探すため、友人の店を手伝ったり、沖縄でも3カ月間ほど宿と飲食業に無償で関わった。

 「いまのようなスタイルは当時イメージしていなかったけど、興味はあったんです。1990年代に東京でネオ屋台みたいな業態がちょっとしたブームになり、雑誌で特集されたりしてた。それから、山梨の清里高原が好きでそこでアルバイトで、森の中のメリーゴーランドを操作しながらテラスで飲み物や地元の野菜や果物を販売する経験をさせてもらった。それが楽しかった」

 宜野湾市の民家に居候したことが、もう25年近く前にある。部屋のすぐ横が土の駐車場で、椅子を外に出して昼御飯を食べたり、新聞を読んだ。家の窓は開け放っていて風が気持ちよかった。屋内と屋外の区別がないところが気に入った。沖縄で珈琲屋台をやることは、そんなプロセスがあるからこそ、閃(ひらめ)いた。

 「沖縄を選んだのは閃きだったけど、地元のお客さんや、“沖縄”と“屋台”と、“珈琲”というキーワードが、もう戻ることがないと思っていた東京や台湾等の海外にもひばり屋を連れていってくれる。沖縄に来るときにどうしても手放さなくてはいけなかったいろんな事を、また私の元に運んでくれた感じです」と真顔で言う辻さんは、沖縄に移住してからめっきり寒がりになり、毎年1月だけは東京に出店する。

唯一無二の空間

 移住してきたこともあり、辻さんは自分のことを「異物」と表現をする。店の看板を出していない理由もそこにある。

 「土地に対して敬意を払って入っていく必要があると思うのです。おじゃましている感覚。うちが表への看板を出さないのは、地元の人たちが生活していく上で邪魔だと思うから」

 今は全国的に珈琲ブームだが、東京の有名店では長い行列ができていて、あたかも流行りの「情報」をぼくたちは飲んでいるようだ。辻さんは、「もちろん美味(おい)しい珈琲を提供したいので味も工夫していますが、何となく飲んでいてふとした時に“あ、ひばり屋の珈琲、美味しかったな”と思い出してくれたうれしいな」と笑った。名店と呼ばれるより、寄り添う友だちのような珈琲店を目指している。深煎りのアイスコーヒーはオープンから定番だ。ぼくは必ずこれだ。

 ひばり屋への行き方は、「国際通りからグランドオリオン通りを入ってしばらく歩くと右手にオリオン薬局というちいさな薬局があるので、その手前の小道を入って3軒目」と辻さんは説明してくれた。

 ベンチに座って本を読んでいると、ふわりと風が吹き抜けるのがわかる。木の葉が小刻みに揺れる。空を見上げると雲が流れていく。視界の隅を猫が横切る。「ひばり屋」は、静かに珈琲と風を味わうことができる唯一無二のスペースだ。

(藤井誠二、ノンフィクションライター)

つじ・さちこ​

 1972年生まれ。「ひばり屋」の由来の一つは大好きなバンド「スピッツ」のデビュー曲「ヒバリのこころ」から。2007年より「てぬぐい市」や県内アーティストの作品展等を企画・開催。「夜ひばり」という月1回延長営業も始める。シェフ等を招きさまざまな料理や飲み物を提供する。不定休・雨の日休み。ひばり屋(電話)090(8355)7883。

 

 ふじい・せいじ 愛知県生まれ。ノンフィクションライター。愛知淑徳大学非常勤講師。主な著書に「体罰はなぜなくならないのか」(幻冬舎新書)、「『少年A』被害者の慟哭」など多数。最新刊に「沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち」。