北方領土交渉 神話だった「四島一括返還」<佐藤優のウチナー評論>


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 2002年、鈴木宗男疑惑の嵐が吹き荒れたときに、筆者は鈴木氏と連携して「四島一括返還」の国策を裏切って歯舞群島と色丹島の二島返還を基礎にロシアと交渉を進めたと非難された。そして、東京地方検察庁特別捜査部に逮捕され、東京拘置所の独房で512日間過ごした。

 もっとも獄中で筆者は自らが沖縄人であるという自覚を徐々に持つようになった。この事件がなかったならば、沖縄との関連が深まることなく、筆者は外務官僚としてロシアを相手に仕事を続けていたと思う。人生を転換させる機会が得られたことは悪くなかった。

 さて、去年11月14日、シンガポールで安倍晋三首相とロシアのプーチン大統領が会談して「1956年の日ソ共同宣言を基礎に平和条約交渉を加速する」と合意してから、世論の流れもだいぶ変わってきた。日ソ共同宣言では平和条約締結後にソ連が歯舞群島と色丹島を日本に引き渡すことを約束している。ロシアはソ連の継承国なのでこの約束を履行しなくてはならない。

 安倍政権が歯舞群島と色丹島の2島返還と国後島と択捉島における日本に対する特別の扱いを求める2島返還プラスαに方針を転換したことで、北方領土問題解決の可能性が高まった。当時、鈴木氏や筆者が進めようとした方向で現下の北方領土交渉は行われている。

 今年7月の参議院議員選挙で鈴木宗男氏が日本維新の会から立候補し、当選した。10月18日、鈴木氏は内閣に対して以下の質問主意書を提出した。

 〈政府における北方四島に関する以下の用語の使用について、質問する。

 一 「北方領土」という名称は、いつから使われるようになったか。

 二 「日本固有の領土」という表現、言葉は、いつから使われるようになったか。

 三 「四島一括返還」という表現、言葉は、いつから使われるようになったか。

 四 「不法占拠」という表現、言葉は、いつから使われるようになったか。〉

 これに対して、安倍晋三首相名で10月29日に以下の答弁書が出された。

 〈一から四までについて

 お尋ねについて確定的にお答えすることは困難であるが、例えば、政府が国会での審議の場において初めてお尋ねの用語を用いた例は、現時点で確認できる範囲でお示しすると、次のとおりである。/「北方領土」 昭和三十一年三月十日の衆議院外務委員会における下田武三外務省条約局長(当時)の答弁/「日本固有の領土」 昭和三十年十二月七日の衆議院予算委員会における鳩山一郎内閣総理大臣(当時)の答弁/「四島一括返還」 昭和五十年十一月二十日の衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員会における植木光教総理府総務長官(当時)の答弁/「不法占拠」 昭和二十七年三月七日の参議院外務委員会における石原幹市郎外務政務次官(当時)の答弁〉

 質問主意書に対する答弁書は閣議決定を得るので政府の立場を拘束する。「四島一括返還」という言葉は戦後30年も経(た)った1975年に初めて登場した。日本が敗戦後から一貫して「四島一括返還」を主張していたというのは、神話だということが、鈴木氏の提出した質問主意書によって明らかになった。

(作家・元外務省主任分析官)