早期の実相解明必要 八重山「学徒」資料 援護法申請へ作成か


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国立公文書館が保管する八重山中学校、八重山農学校の学徒名簿と死亡現認証

 沖縄戦で、八重山地域から「学徒」が動員され、犠牲になった事実が旧厚生省(現厚生労働省)の資料で初めて裏付けられた。資料には厚生省の担当者が赤字で書いたとみられる「調査整理の原本」との記述があるほか、調査官に琉球政府社会局援護課の担当者名も記載され、援護法の適用を求めるために作成された資料の可能性がある。一方、細かい記述については不明な部分も多く、今後の検証が必要だ。

 資料の死亡現認証によると、作成した調査官に「社会局援護課 大城清三郎」との名前があった。過去の新聞紙面によると、1950年代中頃まで、琉球政府の援護課に同名の人物がいたことが明らかとなった。

 県遺族連合会が発刊した「還らぬ人とともに」によると、1954年の全琉遺族大会で、各学校ごとの名簿や死亡現認証を作成することを決定し、厚生省に要請した経緯が記されている。見つかった資料のうち、名簿と死亡現認証などは同時期に作成され、国に提出された可能性もある。

 八重山地域の沖縄戦に詳しい大田静男さんは「当時の生徒から自分の学校で亡くなった同窓生がいることはあまり語られてこなかった。資料が出てきたことを機会に、八重山の学徒の戦争体験記をまとめ、学校などの授業で活用していくべきではないか」と資料の重要性を述べた。

 一方、今回公開された資料は県が提出した資料を基に作成されたとみられるが、県は両校の犠牲になった学徒の数は「0人」との認識を示している。石垣市も過去に聞き取り調査などを進めたが、犠牲者数などはまとめていない。沖縄戦生存者の高齢化が進む中、八重山における戦争の実相について、早期解明が求められている。
 (池田哲平)