社会

アフガニスタンで死亡した中村哲医師が沖縄で語ったこと 現地診療所に「オキナワ」 第1回沖縄平和賞受賞


 アフガニスタンで銃撃され、死亡した中村哲医師は、現地代表を務めるNGO「ペシャワール会」として第1回沖縄平和賞を受賞するなど、沖縄とのつながりも深かった。アフガニスタンで開設する診療所に「戦乱の地域に平和の基地を造ることで県民の気持ちを代弁したい」との思いで「オキナワ・ピース・クリニック」と命名することも語っていた。沖縄に関連して中村医師が残した言葉を振り返る。(田吹遥子)

「平和の声を沖縄が代弁」沖縄平和賞授賞式(2002年)


沖縄平和賞で稲嶺恵一知事(当時)から表彰を受ける中村哲さん(右)=2002年

 中村医師は2002年に「第1回沖縄平和賞」を受賞した。8月30日に行われた授賞式でのあいさつでは以下のように語っていた。

「私たちの活動を「非暴力による平和の貢献」として沖縄県民の皆さまが認めて下さったことは、特別に意味のあることだと受け止めております」

「遠いアフガニスタンでの活動と、アフガンに出撃する米軍基地を抱える沖縄、このコントラストは、現場にいる私たちには圧倒的であります。平和をとなえることさえ、暴力的制裁を受ける厳しい現地の状況の中で物言えない人たちの声、その奪われた平和の声を「基地の島・オキナワ」が代弁するのは、現地にいる日本人として名誉であります」

「沖縄の抱える矛盾、これは凝縮された日本の矛盾でもありますが、米軍に協力する姿勢を見せないと生き延びられないという実情は、実はかの地でも同じです。基地を抱える沖縄の苦悩は、実は全アジア世界の縮図でもあることをぜひお伝えしたいと思います。今回の平和賞は、人としての誇りを失いがちな世界に一矢を報いるものであります。平和賞をめぐる議論があることも私たちは承知しております。しかし、平和とは少なくとも沖縄においては、政治的立場を超えて、全県民が切実な思いで求めておられるものと確信しております」

(2002年8月31日付琉球新報より一部抜粋)

「本土に投げ返すべき」 沖縄平和賞記念シンポ



 沖縄平和賞記念シンポジウム後に米軍基地について以下のように語っていた。

「基地がないと生きて行けないという実態は沖縄だけでなく日本全体がそうだ。県民だけが苦しむのではなく、本土に投げ返すべきだ。アフガニスタンは、親米的な政権でないと国が滅びるという現実を考えると、単に沖縄だけの問題ではなくアジア的な広がりを持つ問題だ」
 テロ後に、空爆や自衛隊派遣があったことについて「大半の人は『あんな悪いことをする所はやっつけてもいいんじゃないか』という論調に引きずられた。ジャーナリズムも一役買ったのではないか。その根幹にあるのは親米的でないと日本は食って行けないという事情がある。それを暴力的な形で合理化したのは許しがたい。明らかに憲法に違反している」

「戦乱の地に平和の“基地”を」 オキナワ・ピース・クリニック開設(2003年)


オキナワ・ピース・クリニックに関する琉球新報紙面

 中村さんは、平和賞で贈られた賞金の一部で、アフガニスタンの山岳地帯に「オキナワ・ピース・クリニック」と命名した診療所を開設した。

 2002年8月31日付の琉球新報によると、診療所を開設したのはアフガニスタンのクナール州ダラエ・ピーチ渓谷のシンザイ村。同診療所は周辺地域の人々にとって唯一の医療機関になるとしている。中村さんは「アルカイダがいるとの情報で、米軍が集結しつつある」と現地の緊迫感を伝え、「紛争の地域であればこそ大事。暴力的な解決や、力で力を押さえ込むのではなく、(クリニックを造ることで)無言の力としたい」「戦乱の地域に平和の゛基地゛を造ることで、県民の(平和を願う)気持ちを力を持って代弁したい」と、クリニックへの思いを込めていた。

「平和がいかに重要か体験を通して伝えたい」(2017年)


講演会で語る中村哲さん=2017年、浦添市

 2017年にも県女性の翼の会主催の講演会で登壇した。

 そこで中村さんは、現在の国際情勢に関し「世界中が現在、それぞれ非平和的な手段で自分たちの意図を通そうとしている。その中で右往左往しているのが私たちの現実だ。平和がいかに重要なことなのか、私たちの体験を通して伝えたい」と話していた。



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