民泊で有名な島であった107人が爆死した事故を知っていますか? 小学生が劇で継承する島の歴史


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LCT爆発事件で犠牲者が担架で運ばれる様子など、当時の悲惨な状況を演じる児童=1日、伊江村立西小学校体育館

 【伊江】米軍統治下の1948年8月6日、伊江島の港で米軍爆弾処理船(LCT)が爆発、住民ら107人が爆死し、100人以上の重軽傷者を出した事故は、地元で「波止場事件」して語り継がれている。終戦直後に起きた惨劇を伝え継ごうと、伊江村立西小学校(宮城康人校長)の6年生が1日、学習発表会で平和劇「時をこえ伝えよう1948・8・6LCT爆発事件」を初上演した。

 終戦後、島には未使用弾などが集積されていたが、島民からの処理要請を受け1948年7月から、米軍が爆弾の海洋投棄を始めていた。8月6日の事故はLCTと呼ばれる軍の揚陸艇に積む作業中に荷崩れを起こし、5千発の爆弾が船ごと爆発した。

 劇の前に、児童らは総合的な学習の時間で村内の戦跡巡りをして学習した。

 10月に同校で開かれた平和学習会で、爆発事故の継承に取り組む西江前区出身の長嶺福信さん(71)=西原町=から経緯などを学んだ。学習会では、父を亡くした阿良区出身で北谷町在住の主和津ジミー(日本名・幸地達夫)さん(79)や西江前区の大城賢雄さん(87)が講話し、当時の状況を語った。

 劇では、爆弾を運び出す作業に動員される村民や、爆発で遺体が散乱し家屋が破壊された惨状を表現。記憶の継承と平和の尊さを訴えた。

 ジミーさんは「父が担架で運ばれる場面を見て当時を思い出し、胸がいっぱいになった。最高の劇を演じてくれて感謝している」と涙ながらに語り、児童一人一人と握手を交わした。ジミーさんの役を演じた棚原天夢さんは「島で起きた悲惨な事故を多くの人に知ってもらえるよう、劇などを通じて伝えていきたい」と語った。
 (金城幸人通信員)

LCT爆発事件の平和劇を演じた6年生の児童と遺族や関係者ら