琉球工芸の普及、浸透に貢献した那覇市久茂地のアートギャラリー「青砂工芸館」が年内いっぱいで、約30年の歴史に幕を下ろす。同工芸館は主宰の安元實さん(75)が認め、指名した工芸作家だけが利用できたギャラリーで、開かれた企画展は300回以上に上る。入居ビルが来年取り壊されることに伴う閉館で、工芸家からは安元さんの功績をたたえる声や閉館を惜しむ声が上がる。
安元さんは「残念だが、琉球工芸がアートと認められるようになることに貢献できたのではないか」と振り返った。工芸館を開いたのは1987年。当時「琉球工芸は民芸として扱われ、芸術としては見られていなかった」という。だが「琉球工芸こそ沖縄が世界に誇れる芸術だ」との考えから琉球ガラス、陶芸、紅型など工芸だけを専門に展示するギャラリーと位置付けた。
一番最初の企画展は琉球ガラスの稲嶺盛吉氏、桃原正男氏、源河源吉氏の3人展。当初はシンプルなデザインだったが個展を重ね、泡ガラスやひび割れガラスなどの技術が確立され、芸術性の高い作品が生まれた。さらに県外の著名な作家にも声を掛け、企画展を開くことで県内工芸家に勉強の機会や刺激を与えた。
安元さんは企画展のたびに扱う作品や作家について自身の評論、解説を掲載したDM(ダイレクトメール)を作成。写真もほぼ自身が撮影し、プロの写真家に依頼する際も背景や構図は指示した。
安元さんは「作品を見て才能を感じた作家に声を掛けた。将来、工芸界を担うとみた若手の発表の場にもした」と話した。年1回の企画展を27回開いた陶芸家の迎里正光さん(63)は「職人から工芸家だという意識を持てるようになったのは工芸館のおかげ。安元さんに励まされ育てられた。単なる会場の提供だけでなく幅広い工芸のプロデュースもした。閉館は残念だ」と惜しんだ。
(宮城久緒)