日本初の銅メダルに輝く 車いすラグビー代表・仲里進さん アテネから5大会連続出場へ挑む うちなーオリンピアンの軌跡(14)


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リオパラリンピックの銅メダルと日本代表のジャージを手にする仲里進=26日、浦添市のサンアビリティーズうらそえ

 関節が変形したり固まったりする「先天性多発性関節拘縮症」により、偏見や差別に苦しみ、21歳で睡眠薬を大量に飲んで生きることをあきらめかけた。その時、「障がいに負けずに前に進んでほしい」。そう名付けた両親や恩師、友人の励ましで、運命を受け入れた仲里進(42)。そして車いすラグビーと出会い、人生が変わっていく。激しくぶつかり合うプレーに感情もさらけ出し、生活の全てをささげた。やがて日本を代表する一人となり、パラリンピックではアテネから4大会連続出場し、リオで銅メダルをつかんだ。あれから4年、ラグビーでは前人未踏の5大会連続出場へ東京パラもあきらめていない。

■運命を受け入れる

 父の故・吉見さんも先天性多発性関節拘縮症、母の故・さちみさんはポリオ(小児まひ)の後遺症があった。一人息子の仲里も障がいがあったが、父の方針で小中高は普通校へ。楽しい日々の中に差別や偏見は潜んでいた。仲里の姿を見て泣く子がいたり、友だちの家では「こういう子を連れてこないで」と心ない言葉を浴びたり。思春期には「この先、恋愛も結婚もできない」と、両親につらく当たってしまったという。

 21歳のころ、失明の恐れもある目の合併症が表れ、「毎日死ぬことばかり考えていた」。睡眠薬を大量摂取して自殺を図り、意識不明の状態から病院で目が覚めた。両親や恩師、友人がたびたび見舞いに来て、寄り添ってくれたことが「ありがたかった」という。病床で考える内に「どうせ死ねないんなら、前向きに生きてみよう」と、再び自分の人生を歩み始める。

■ラグビーとの出会い

 2002年、車いすバスケを楽しんでいる時、車いすラグビーの元日本代表神里和彦に出会い、ラグビーを始めて「人生が180度変わった」。

 車いすが壊れるほどの激しい衝突を初めて見た時は恐ろしいとすら思った。「障がい者は守られる存在」というイメージとかけ離れた荒々しさに「男が命を懸けてやれるスポーツ」と引き込まれたという。

 車いすバスケで基礎技術は身に付いていた。競技を始めて1年半で日本代表に選ばれ、04年のアテネパラに出場して8位。08年の北京パラは主力として活躍したが、開催国の中国に勝利しただけの7位。メダルは遠かったが、仲里の活躍に目を付けた米国トップリーグのチームからオファーを受けた。当時、世界ランク1位の米国でプレーすることは仲里の夢。二つ返事で米国に飛び、「生活の全てが車いすラグビーのため」と、物おじすることなく突き進み、チームの中心人物となった。

 米国では通算3シーズン、所属チームを変えながらもトップリーグで活躍し続けた。他国からの合宿も多く、米国滞在のおかげで実力を上げていく。日本に戻ると「パワーが違う」と物足りなさを感じるほど、自分が世界レベルになっていることに気が付いた。

 気力も体力も充実して迎えた2010年のロンドンパラ。日本代表の中心となっていた仲里の前に立ちふさがったのは米国だった。

ウィルチェアラグビー3位決定戦・日本―カナダ ディフェンダーをかわす仲里進(右)=リオデジャネイロ

■メダルへ至る道

 ロンドンパラ予選リーグは2位通過したが、決勝トーナメント準決勝でオーストラリアに敗れた。銅メダルを懸けて争うのは米国。予選では完敗していた相手との再戦だが、仲里はリベンジのチャンスに喜々としていた。

 攻撃の要となった仲里だが、多彩な攻撃を仕掛ける米国には及ばず敗退。車いすを激しくたたいた。「あの時ほど泣いたことはなかった」。

 仲里は13~14年に日本代表の主将を務め、15年はオーストラリア、16年は米国でプレーした。実績のある選手として挑んだリオパラは日本代表の選手層の厚さが増したため、仲里はスタメンの次の「セカンドライン」の中核で活躍。日本初の銅メダルにうれし涙を流した。

■離別と再起

 リオパラ後は国内を拠点としていたが、当時は日本代表合宿に招集されない時期が続いた。17年3月に母親を、18年9月に父親を亡くした。自分を生み育て、どん底からすくい上げてくれた2人を失って「生きる頼りがなくなった」ことも大きかったという。大きな喪失感は時間がたっても変わらないが、パートナーの支えもあり前を向き続ける。

 同年12月には、選手兼監督を務める沖縄ハリケーンズで日本選手権3連覇、5度目の優勝を果たした。その後、日本代表に招集されるようにもなった。ベテランの立場にあるが、東京パラ出場の夢はあきらめていない。「5大会連続の可能性に懸けている。最後は金メダルを取って終わりたい」。さまざまな経験の末に自らの“運命”を受け入れた仲里が、荒々しいコートの上でこそいきいきと輝きを放つ。

 (敬称略)
 (古川峻)