【インタビュー詳報】「対話諦めず抵抗を」 メディア設立、闘う武器に カタルーニャ州前首相プチデモン氏


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 琉球新報の取材に応じたスペイン北東部カタルーニャ自治州の前州首相、カルラス・プチデモン氏(57)。インタビューでは、自ら主導した同州の独立の是非を問う住民投票など、自己決定権を巡る中央政府との闘いに触れながら、非暴力による民主的対話の重要性を説いた。「私たちは私たちの未来を決めたい」と持論を述べ、国家に抑圧される自己決定権の課題を克服するため、名護市辺野古への新基地建設に反対の民意を示す沖縄など諸地域と国際的に連帯する必要性についても強調した。

 スペイン・カタルーニャ自治州のカルラス・プチデモン前州首相は琉球新報と友知政樹沖縄国際大教授のインタビューに「(政府との対立を)解決するために大切なのは政治的対話を諦めず、抵抗し続けることだ」などと答えた。

―住民投票を巡り、スペイン中央政府から反乱容疑で逮捕状が出ている。

 「欧州全体にとって恥ずべき状況だ。住民投票は犯罪ではない。裁判はフェアではなく不正義で、欧州の民主主義を傷つけている」

―状況を打開する方策はあるか。

 「独立への道のりは長いが、大切なのは決して政治的対話を諦めず、抵抗し続けることだ。平和で民主的な対話は、唯一の解決策だ。問題はもはやスペイン国内にとどまらない。この状況を無視することは欧州の危機につながる」

―沖縄でも県民投票があり、辺野古新基地建設に7割以上が反対した。

 「正当に行われた投票の結果は尊重されなければならない。それが民主主義のルールだ。人々が民主的に意見を集約し、表明すれば日本であれスペインであれ尊重するのが政府の義務だろう。無視ではなく、政治的対話をすることが民主社会における義務だ。そうしないと深刻な対立を招いてしまう」

 「スペイン政府は私たちが投票することさえ認めなかった。投票の結果が怖かったのだろう。もし独立反対の結果が出ていたら、私はもちろん受け入れた。それが民主主義のルールだからだ」

―スペイン政府は政治的課題を司法の場に持ち込んでいる。日本でも同様に、沖縄県と政府の間で裁判闘争になっている。

 「スペインでは一般の犯罪レベルでは司法は独立性を保っているが、高いレベルでは政治によって何が正義かを決めてしまう問題がある。国際社会からスペイン政府に対し、司法の独立性を確保するよう勧告が出ている。フランコ独裁政権時から続く負の遺産だ。政治的利益と裁判所がいまだにリンクしている。スペイン全体の民主主義の向上に歯止めをかけている」

―国家により自己決定権が抑圧されている地域が世界各地にある。連帯する必要はあるか。

 「もちろんだ。20世紀はポストコロニアリズム(脱植民地主義)の時代だった。自己決定権という概念を、さらにアップグレードする必要がある。自己決定権に関する課題を非暴力で民主的に解決していくために、国際的な連帯を広げていく流れを作らなければならない。沖縄やカナダのケベック州、西パプアなどさまざまな地域がある。互いを知り、学ばなければならない。国家が暴力などの古い方法で抑圧するのなら手を取り合い、情報を共有して闘わねばならない。私たちは私たちの未来を決めたいのだ。カタルーニャ人は現在、自分のナショナリティー(国籍)を自分で決めることができない。変えていく必要がある」

―1999年に州政府系メディアのアジェンシア・カタラナ・デ・ノティシエス(ACN)社を設立した。

 「現在はネットの仮想空間だけでなく、現実の社会で情報や評判というものが重要な役回りを果たしている。スペイン政府がメディアを通してカタルーニャを陥れようとしていることに対し、闘うことが重要だった。スペインの人たちはカタルーニャの人々を『人種差別的だ』と言ったり、自己決定権の運動を『古典的なナショナリスト運動だ』と言ったりした。フェイクニュースの戦場で闘うための武器が必要だった。現在は英語でも正しい情報を発信している。同時にさまざまな数値、データを発信することも重要だ」

―国政で極右政党が台頭し、カタルーニャの独立運動に反対している。

 「極右政党は国家の形が変わり、新たな時代に入る時に古い形を守ろうとする反作用のように出現する。攻撃的な反応がこれで最後になることを願っている。一つの国に一つのアイデンティティーしか認めないのは、今の時代では幻想でしかない。悪いナショナリズムはアイデンティティーを強制しようとする。民主主義への大きな脅威だ。スペインにとどまることでアイデンティティーの自由や権利が侵害されるのであれば、独立する必要がある」

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 カルラス・プチデモン 1962年スペインのカタルーニャ州生まれ。81年から地元紙で記者として働き、99年に州政府系メディアのアジェンシア・カタラナ・デ・ノティシエス(ACN)社を設立した。2004年にカタロニア・トゥデイ紙(英語版)の最高経営責任者(CEO)に就任した。06年からカタルーニャ州議会議員、07年からジローナ市議会議員、11年からジローナ市長を務めた。16年にカタルーニャ州首相に就任。18カ月以内に「カタルーニャ共和国」を樹立すると宣言した。17年の独立の是非を問う住民投票を巡ってスペイン中央政府から逮捕状を出され、ベルギーに逃れた。19年5月の欧州議会議員選挙で、カタルーニャ独立派2人とともに当選した。スペイン政府は就任を認めていなかったが、EU司法裁判所は19年12月19日、当選を有効と判断。暫定的な議員資格を得た。