豚殺処分「てこずっている」 見通せない先行き、不慣れな作業に疲れ果て 600人超が徹夜で処分


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殺処分された豚が入った茶色の袋を穴に降ろす=9日午後2時18分、うるま市

 1986年10月以来となる沖縄県内での豚コレラ(CSF)の発生から9日で丸1日が経過した。発生農家では72時間以内に初期防疫作業を進める必要があり、豚舎内の全頭殺処分と埋却、消毒作業など感染封じ込めの作業が進められている。県は全庁体制で職員を動員し、家畜防疫員やJAグループなどからも加わって人員は2日間で延べ280人に上る。さらに県の災害派遣要請を受けて自衛隊も約390人を動員。現場を取材する担当記者が報告する。

 8日午前5時50分、豚コレラ感染の疑いがある豚が出たうるま市の養豚場に続く細い農道は、「立入禁止」の紙を張り出した軽トラックでふさがれていた。午前6時30分を過ぎ報道各社が集まり、午前7時頃1台の軽トラックで養豚場の管理者が現れた。規制で入場できずに引き返そうとしたところで報道陣の取材に応じ、「最後に餌をあげようと思った」とまだ現実を受け入れられないような戸惑った表情で話した。

 午前8時20分頃に遺伝子解析で陽性と判定されたことが正式に公表されたことが、記者の共有メールで流れてきた。午前9時半、真っ白な防護服を身につけた作業員を乗せた車が断続的に現場に入った。

 これまで養豚場から約200メートル離れたところに規制線が引かれたが、じりじりと後ろに下がり、午前10時30分には豚舎から350メートルほどまで離れた。簡易トイレやテントなどが次々とトラックで運び込まれ、作業に向けて準備が始まった。規制線の外にいる報道陣からは養豚場の作業はうかがうことはできず、耳を澄ますと豚の弱々しい鳴き声が聞こえてきた。

 県はこれまでも、豚コレラが発生した場合を想定した防疫演習を実施してきた。昨年6月12日には農林水産部の職員ら約80人が那覇市の八汐荘に集まり、防護服の着用方法や初動防疫の流れなどを確認し、危機管理に備えていた。しかし豚コレラの発生が現実となり演習通りに行かない場面もあったのか、作業に遅れが出る場面もあった。

 県畜産課によると、殺処分は8日午後0時50分に始まった。殺処分されるのは1800頭以上にもなることが発表された。殺処分は原則として24時間以内の完了が目安だが、開始から約4時間がたった時点で殺処分されたのは95頭だけだった。関係者によると「不慣れでてこずっている」ということだったが、時間がたつにつれて報告される頭数のペースは上がっていった。現場の作業は1日3交代で24時間体制を取っている。深夜、未明も作業が進められ、埋却地に殺処分した豚を埋める穴が完成したのは日付が変わって9日午前3時30分だった。

 2日目の9日は、養豚場から埋却地へ豚の死骸の搬送が進められた。トラックの荷台に積まれた死骸はブルーシートに覆われ、さらにガムテープで巻かれていた。トラックが埋却地の大きな穴に近づくと、ショベルカーが豚が入った茶色の袋を持ち上げ、ゆっくりと穴に降ろしていった。

 車両が埋却地から出入りする際、タイヤや荷台に消毒液を吹きかけていたのは、取材で知り合った県中央家畜保健衛生所の職員だった。家畜のできを競う県内の共進会で畜産の魅力や愛くるしさを楽しそうに語ってくれた人だった。この日は表情を変えることなく、黙々とトラックに消毒液を吹きかけていた。職員は疲れ果てた表情で「ついに出ちゃいました」と苦しそうに話した。

 作業に携わる人たちの精神的なダメージは避けられない。自衛隊などは作業に当たる隊員へのメンタルヘルス教育を実施しているという。

 私たち取材者にとっても、初めて直面する事態であり、影響の大きさや先行きの見通せない状況に緊張を強いられる取材となっている。

 琉球新報は発生疑いが判明した7日午後の段階で、口蹄疫取材の経験がある宮崎日日新聞に社会部長が取材の留意点などを問い合わせ、同社が作成した取材マニュアルなどを提供してもらった。取材が感染拡大につながらないことが絶対という説明を受け、使い捨ての防護服や長靴の着用を確認し現場の取材にあたった。
 (石井恵理菜)