挑む 不屈のリフター 地道な努力 けが乗り越え 重量挙げ女子・神谷渉 〈憧憬の舞台へ〉②


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神谷歩=2019年12月4日、和歌山市の和歌山東高校

 東京五輪の重量挙げは全7階級で、開催国枠を合わせた出場枠は最大で四つ。国内1位になっても、出場が確約されるわけではない。女子76キロ級の国内女王の神谷歩(27)=豊見城高―金沢学院大出、同大職=は度重なるけがに苦しみながらも、何度も立ち上がってきた不屈のリフターだ。「(東京五輪につなげられなければ)4月のアジア選手権が最後になるかもしれない。もう、やるしかない」。目の前まで迫った夢舞台への切符をつかむべく、今日も自分の限界と向き合い続けている。

■夢はCA

 天性の柔軟性と体の軸の取り方、そしてしなやかな筋肉。100キロを超えるバーベルに体全体の力を効率良く伝えると、シャフトはゴムのようにしなり、瞬く間に頭上高く差し挙がる。75キロ級のスナッチ日本記録保持者は、日本人の母とアメリカ人の父の間に生まれた。

 穏やかな性格で周囲から愛されて成長した少女の夢は、キャビンアテンダント(CA)だった。きらびやかに世界を飛び回る姿にあこがれた。小学校の時は新体操、中学校はクラシックバレエを習った。

 豊見城高に上がると特にやりたい部活はなかった。当時重量挙げ部の平良真理監督、仲の良い友人に誘われるがままに、マネジャーとして入部した。この競技を女子がやる印象はなく「(選手として)やるつもりは全然なかった。絶対にやりたくなかった」と振り返る。

 「マネジャーも筋トレをしないといけないんだよ」という平良監督の言葉を素直に信じ、簡単な練習には参加した。平良は「バレエをやっていたからか、柔軟性もあり、軸の取り方ができていた」と才能を見抜いていた。

 結果が出るのに時間はかからなかった。1年時の海邦国体記念大会(7月)は63キロ級に出場。2位にトータルで20キロ差を付ける快勝だった。豊見城男子には後に世界選手権で銀メダリストとなる糸数陽一もいた。互いに高め合い、県内のみならず、全国大会でも上位入賞の常連となった。

フォームを確かめながら基本動作を繰り返し練習する神谷歩=2019年12月、和歌山市の和歌山東高校 (ジャン松元撮影)

■本気で五輪

 CA養成のエアラインスクールに進む予定だったが、記録が伸びていたこともあり「できる時にしかできない」と強豪の金沢学院大に進んだ。ロンドン五輪を目指し、練習に真剣に打ち込む先輩方から刺激を受け続けた。めきめきと実力を付け、代表合宿にも招集されるようになる。

 競技を始めた時は「飛行機に乗りたいから頑張る」との気持ちだけで一生懸命練習した。三宅宏実ら代表選手と接し、「“JAPAN”が入ったユニホームを着たいから頑張る」と気持ちは徐々に変化した。いつしかCAから「(五輪に)本気で出たい」とスポーツ最高峰の舞台を夢見るようになった。

 全日本選手権は4連覇と国内で結果を残し続けたが、昨年3月に股関節を痛めてしまった。「全部狂ってしまった」。4月のアジア選手権は記録なし、7月の東京五輪プレ大会は4位、世界選手権は12位の結果となった。

 今では月の半分を占める代表合宿。階級問わず全員がライバルだ。ほかが調子を上げていく姿は嫌でも目に入る。「人がどうこうじゃない。自分がどれだけできるか」と歯をくいしばり、シャフトを握り続けてきた。地道な調整を続け、少しずつ調子を戻してきている。

 国際連盟が指定する6大会での獲得ポイントによって五輪出場の人数枠が決まり、これをトップの12選手で争う。残るは東アジア選手権(2月)、最後はアジア選手権(4月)だ。「3枠か4枠かは分からないが、12人の中からこれだけしか出られない。勝ち抜いて、もっともっと記録を伸ばせるようにしたい」。柔らかな笑顔は消えていた。 

(敬称略)
(喜屋武研伍)