復活までの道のりは長く、困難を極めた。琉球在来の豚として知られる「アグー」。戦前は県内各地で飼養されていたが、戦火による減少や、より多くの豚肉が生産できるよう西洋種との交配が進み、一時は絶滅の危機にひんしていた。
沖縄の豚文化の継承に取り組む関係者らの尽力で、現在は県内で約1100頭が飼育されている。豚熱(CSF、豚コレラ)の感染拡大を受け、アグーの「種の保存」の必要性を指摘する声も高まっている。
アグー復活の転機となったのは、今から39年前の1981年。琉球在来豚アグー保存会の島袋正敏会長は当時、名護博物館設立準備室の室長として「沖縄文化の保存」を目的に資料収集を進めていた。その一環でアグーの調査を実施した結果、アグーの在来種に近い豚はわずか30頭しか存在しない実態を知った。
「アグーを失わせてはいけない」。養豚農家に頼み込み、18頭のアグーを確保した。名護市の北部農林高校の協力を得て84年から、在来種により近づける「戻し交配」という技法を用いて復活に取り組んだ。
しかし、復活は一筋縄ではいかなかった。純度の高い豚を掛け合わせ続けると奇形が出たり、雌の産出数が減ったりと、さまざまな障害にぶつかった。交配の方法を工夫し、試行錯誤の末に在来豚にほぼ近い形の豚を再現できたのは、9年後の93年だった。
現在ではブランド豚として価値が認められているアグー。島袋会長は沖縄の人々が何百年もの間、豚と関わってきた民族的、文化的視点を先に持ち、その上で経済性を両立させる考え方が必要だと強調する。
「アグーは成長が遅く、生産効率が重視される中で切り捨てられてきた。再び失われると、取り戻すまでに長期間を要する可能性がある」と指摘し、保護対策の必要性を訴えた。
アグーの復活に関わった北部農林高は現在もアグーを飼養し、アグーと西洋種を掛け合わせた独自のブランド豚「チャーグー」を生産している。県内各地で飼養されているアグーの元になった豚を守ってきた経緯もあり、豚熱の感染拡大を危惧している。
同校熱帯農業科畜産コースの生徒たちは、アグーやチャーグーなどを飼育しながら沖縄の豚文化についても学ぶ。授業の中でアグー復活の課程でさまざまな困難があったことや、貴重な在来豚を残す大切さを生徒たちに教えている。
同校の千葉直史教頭は「沖縄の伝統的な食文化を守るためにも、北部農林のアグーが感染する事態はなんとしても避けないといけない。強い危機意識を持っている」と懸念する。
江藤拓農相はアグーを保護するための対策として、種豚を隔離することの検討を表明した。県は現時点で隔離する段階ではないとした上で、仮に隔離する場合は離島が候補地になるとの見解を示す。今後、豚熱がさらに広がるようであればアグー保護の対策も緊急性を増していく。
(外間愛也)