家族、地元のために 7人制ラグビーの石垣航平 筋力とスピード生かし 〈憧憬の舞台へ〉③


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石垣航平=11日、福岡市のさわやかスポーツ広場

 リオデジャネイロ五輪から正式競技となった7人制ラグビー。前後半合わせた14分の間、攻守が激しく入れ替わる中で選手はスプリント(ダッシュ)を繰り返す。東京五輪代表12枠を懸けて、宮古島市出身の石垣航平(26)=宮古高―帝京大出、コカ・コーラレッドスパークス=が挑戦し続ける。身長183センチ、体重98キロの体格で筋力もありながら、スピードを生かしたプレーが強みだ。全国高校選手権(花園)は未経験、「素人同然」で名門帝京大に進み「地元のため」とたたき上げで代表候補まで上り詰めた。

■素人同然

 大柄ではないが、外国人選手に当たり負けず、ウイングの俊足が評価され、昨年3月に初めて代表に選出された。9月はアジアセブンスシリーズ中国大会に出場して3トライを挙げ、存在感を示した。オセアニア・セブンズ・チャンピオンシップではニュージーランドなど世界の強豪と対戦した。

 今では五輪代表候補に挙がる石垣だが、幼い頃からラグビー代表を夢見る子どもじゃなかった。小中学生まで続けた野球は高校では続けず、アルバイトも部活もせずに島内を「うろちょろしていた」。だが、ひときわ目立つ体格の石垣を、後に名護高校を何度も花園に導く辺土名斉朝監督(現コザ高監督)は見過ごさなかった。「すごい選手になるんじゃないか」。宮古高ラグビー部に、半年の間にわたって勧誘し続けた。

 熱意に折れた形で競技を始めた石垣にとって、少人数のためコーチもピッチに入る練習環境が熱意と理解を向上させた。「一緒にプレーするフラットな関係。文句も言ったし、近くに感じた」と激しいコンタクトの中で、仲間同士のつながりを強く感じたという。ウイングとして1年からレギュラーに抜てきされると、3年時には主将を務め、花園県予選は2年連続準優勝に導いた。

 「どうせやるなら日本一」と、大学選手権3連覇中の帝京大に進む。全国から猛者が集う中で、高校から始めた石垣は「まるで素人同然だった」。実力により140人の部員はA~Eのグループに分けられた。石垣はもちろん、Eスタートだった。

「活躍するところを見てもらいたい」と東京五輪代表入りへ意気込むコカ・コーラレッドスパークスの石垣航平=11日、福岡市のさわやかスポーツ広場(喜屋武研伍撮影)

■活躍をみせたかった

 厳しい競争の中で、レギュラーへの定着は難しかった。「いい加減になっていた。どこかで公式戦に出るのをあきらめていたと思う」。3年に上がり、監督から「将来の投資」の意味を込めた途中出場の起用もあったが、期待に添えるような活躍はできなかった。

 転機になったのは4年に長崎で行った夏合宿の時。宮古島にいた祖父の與座明良さんが亡くなった。いつも背中を押してくれた祖父の死。「もっと頑張っていれば、活躍する姿を見せられたかもしれない」。チャンスを生かし切れなかった自分を悔やんだ。

 この時を再スタートにした。練習はこれまで以上に真剣に取り組み、朝の清掃も自ら率先して行うなど、生活面も改善した。4年生最後の大学選手権でレギュラーの座を奪い取った。大東文化大との準決勝は3トライの活躍で68―33で快勝。決勝も先発で出場し、多くの観客の前で帝京を7連覇に導いて見せた。

 その後はレッドスパークスから誘いを受け入団。代表候補合宿では「まだまだ足りない。今のままでは絶対に(東京五輪代表に)入れない」と日々奮闘する。多い時で1日3試合行うハードな日程の中、疲労がたまった時の「DFの横の動き」の俊敏性、タックルが課題だ。15人制のワールドカップで8強入りした日本代表の福岡堅樹らも参加を表明している。

 熾烈(しれつ)な代表争いの中でも石垣は「1番は家族や地元のラグビーファミリーに、世界一大きな大会でプレーしている姿を見せたい。目標だけで終わらせないよう、頑張りたい」と沖縄で応援してくれる人々のためにも戦う。ラグビーの道へ誘った辺土名監督も「沖縄の子どもたちに、憧れられる選手になってほしい」と期待を寄せる。地元を愛し、地元に愛されるラガーマンが、世界のピッチで駆け回る。

(敬称略)
(喜屋武研伍)