社会

1964→2020聖火つなぐ  前回東京五輪の沖縄第1走者、再びリレー 

(左)1964年東京五輪の沖縄の聖火ランナー第1走者を務めた宮城勇さん=那覇市内(本人提供)(右)東京五輪聖火リレーで使用したトーチとユニホームを手に「平和の祭典の意義を伝えたい」と意気込みを語る宮城さん=1月29日、浦添市

 1964年の東京五輪の聖火リレーで、沖縄の第1走者を務めた宮城勇さん(77)=浦添市=が2020年東京五輪の聖火リレーでも聖火ランナーを務めることになった。5月3日、トーチを手に再び地元沖縄を駆ける。「五輪の本質は平和の祭典。子どもたちにスポーツの素晴らしさ、五輪の意義を伝えたい」。56年の時を経ての大役に気を引き締めている。

 琉球大教育学部4年で、体育教師を目指していた宮城さん。6月に「聖火ランナーに内定した」と新聞社に知らされ、翌日の紙面に紹介された。はっきりした理由は分からないが、選考委員だった教授の推薦があったとみられるという。

 第1走者は那覇空港からの1・7キロ。その道のりを繰り返し練習し、何度も予定時間の9分で走った。リレー当日、教育実習中だった宮城さんは午前に松島中での授業を終えて始点の空港に向かった。コースは日の丸の小旗を持った住民で埋め尽くされ、その間をかき分けて走り1分以上もオーバーした。当時の熱気は「みな復帰を意識したのでは」と振り返る。

 64年当時の沖縄は米統治下。開会式を見学するためパスポートを作って上京し、映画会社の日活の役員が支援し自宅に泊めてくれた。先の大戦で父を亡くし「家は貧しかった」と振り返る宮城さん。「人生が変わった。もっと勉強しないといけないと思った」。その体験を糧に体育教師として高校や大学で教えた。

 今回、宮城さんは聖火ランナーに応募しなかった。同じく体育教師だった妻の邦子さん(77)は「やらないと言うから私が出たかった」と笑う。宮城さんは貴重な経験を若い人に積んでほしいと考えたからだ。ただ、NHKから走者に推薦され引き受けることを決めた。「スポーツは民族や国、言葉の違いを乗り越える。五輪の素晴らしさを伝えられたらいい」。思いを語りながらトーチを見つめた。 (仲村良太)



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