子どもの頃に明確な夢を持っていたわけではないが、社会科が好きだったことから大学では法学部に進学した。そのことをきっかけに法曹界への関心が高まった。1987年に司法修習生となり、89年2月に大阪地裁の判事補となった。
双方の話をしっかりと聞いて判断を下すことに魅せられ、裁判官としての歩みを始めた。
「人の話を聞くのが好きな方だ」という性格とも合うようだ。裁判官として「一つ一つの事件に真摯(しんし)に向き合うことが大切だ」という姿勢で取り組んできた。
那覇地裁では、2008年11月に泡瀬埋め立て訴訟で県と沖縄市に公金支出差し止めを命じ、大型公共事業に事実上の中止を促す判断を示した。
13年10月には大阪地裁で、在外被爆者に全額医療費を支給すべきという初めての判断を言い渡した。
沖縄に赴任するのは3度目だ。「異動が多いので、地域の伝統文化など、その地ならではのことに触れたい」。1度目はダイビングを楽しみ、2度目の赴任時に三線を習い始めた。
三線は新人賞に合格した腕前で、離任後も練習は続けた。「ハードルは高いが、優秀賞を目指して頑張りたい」と笑みを浮かべる。
好きな沖縄料理は沖縄そばやチャンプルーだといい、沖縄を離れた後もゴーヤーを自宅で育て、ゴーヤーチャンプルーを作って食べるほどだという。
出身は大阪府。妻と大学生の息子の3人家族。56歳。