祖父から続く平和の灯 北谷中3年・屋嘉健人さん 〈聖火をつなぐ 2020東京五輪〉㉚


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聖火ランナーに選ばれた北谷中学校3年の屋嘉健人さん(右)と1963年の東京五輪の聖火ランナーの随走者だった祖父の福地良夫さん=2019年12月21日、北谷町

 世代を超えて平和のバトンをつなぐ―。東京2020オリンピック聖火リレー県実行委員会からランナーに選ばれた、北谷中3年の屋嘉健人さん(15)。その喜びは一人だけのものではない。1963年に沖縄を巡った、約半世紀前の東京五輪聖火リレーの随走者だった祖父・福地良夫さん(72)の思いが重なる。「平和の祭典」とも呼ばれる五輪。屋嘉さんは「祖父から続く平和の灯(ひ)をつないでいける。それがうれしい。一生懸命走りたい」と笑顔を交わす。

 63年当時、読谷高校の野球部だった福地さんは、同校3年で聖火ランナーに選ばれた名嘉恒守さん(現名嘉病院長)の後ろを約20人の生徒とともに走った。「日の丸を持ちながら、約3キロぐらいかな。沿道の声援を受けて一生懸命走ったよ」と振り返る。

 東京五輪の開催が決まった2013年9月、福地さんから随走者だったことを聞いた屋嘉さんは、その時から、自分も聖火ランナーになりたいと願っていたという。学校の推薦を受けて県に応募し、待ちわびた内定の連絡を受けた時は「夢かと思った。飛び上がるぐらいうれしかった」と、声を弾ませる。

 自宅には、福地さんが随走記念に主催者からもらった記念ブローチが今も大切に残されている。屋嘉さんは「このブローチを胸に着けて、平和がこの先もずっと続きますように、という思いを込めて懸命に走りたい」と語る。

 今年3月に高校受験を控える。希望校は祖父が通った読谷高校。「少し運命も感じる。祖父と同じ読谷校生として走れたら」。祖父を慕う言葉にうれしそうな福地さん。「そうだね。こんな光栄なことはないよ。私の分まで頑張ってよ」。世界を巡ってきた聖火が、小さな島国に住む祖父と孫の間に温かな思い出を作ってくれそうだ。
 (おわり)