円熟のプレーでつかむ 高い攻撃能力武器に ハンドボール男子 東長濱秀希〈憧憬の舞台へ〉⑪


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 五輪での活躍を渇望してきた国内屈指のハンドボーラーが、自国開催に向けて感覚を研ぎ澄ませている。意表を突くシュートやパスで相手をほんろうする187センチの左腕、東長濱秀希(ほずき)=浦西中―興南高―日体大出。昨年6月の強化合宿を最後に日本代表から遠ざかっているが、今季は所属する日本リーグの大崎電気を国内3冠に導き、日本リーグ制覇で初の4冠達成も視野に入れる。現在32歳。トリッキーなプレースタイルにも円熟味が増すベテランが、虎視眈々(たんたん)と代表入りを伺う。

大崎電気の東長濱秀希=2019年11月、愛知県の中村スポーツセンター(大城直也撮影)

■抜群の洞察力

 父は琉球コラソン初代監督の秀吉(60)、兄は元日本代表で現コラソン監督の秀作(36)だ。浦添市立当山小で競技を始めた。浦西中時代に世代別の日本代表に入り、興南高では石川出(琉球コラソン)や棚原良(同)と全国3冠を達成。日体大でもインカレ王者となり、同世代には負けたことがない。

 華麗な経歴の背景には抜群の洞察力を生かした高い攻撃能力がある。「シュートが速いわけでも、ジャンプ力や体力があるわけでもない」と自身の身体能力を分析した上で「相手の選手やベンチ、味方がどう動くかを常に考えている」という。相手が嫌がるタイミングでシュートやパスをさばき、右45度で試合を落ち着かせる。兄の秀作も「一歩引いて、全体をよく見ながらプレーできる選手。小学校時代から変わってない」と高く評価する。

 大学卒業後は強豪の大崎電気へ。1988年のソウル五輪以来、五輪の舞台から長らく遠ざかっていた日本男子の主力にも定着したが、2012年のロンドン五輪は優勝すれば出場が決まっていたアジア予選決勝で韓国に敗退。世界最終予選でも切符をつかめず。16年リオデジャネイロ五輪では予選に臨む代表メンバーから漏れ、悔しい思いをした。

ボールを受けて攻め込む東長濱秀希=2019年11月、愛知県の中村スポーツセンター(大城直也撮影)

■勝たせる選手

 「選手をやっている以上はなんとしても五輪に出たい」。悔しさをバネに成長を続け、17―18季は30歳にして日本リーグのシーズン最優秀選手賞を初めて獲得。代表では昨年1月、世界選手権の開幕3日前に右足の小指を骨折して欠場を余儀なくされたが、6月の強化合宿には招集された。ただ、それ以降の欧州遠征や日本が3位に入った今年1月のアジア選手権では代表から漏れた。

 それでも、多彩な技術と経験を積み重ねてきた東長濱に焦りはない。「コンディションを整えて、リーグで高いパフォーマンスを出していれば自然と選ばれる」と淡々と語る。言葉通り、昨年5月の全日本社会人選手権は優勝して最優秀選手賞を獲得。10月の茨城国体で頂点に立ち、11月の日本選手権も決勝の後半だけで5得点を挙げる活躍でチームを優勝に導いた。リーグでも首位に立ち、チーム史上初の4冠達成が目前に迫る。

 10年目。リーグではパスに徹する試合もあれば、勝負どころで得点を量産する試合もあり「昔は自分だけ良ければいいという時期もあったが、今は余裕が出てきた」とプレーの幅の広がりを実感している。「僕らの年齢は責任を取らないといけない。勝負どころで点を取ってチームを勝たせる選手になりたい」と力強い。

 開催国枠で32年ぶりの五輪出場が決まっている日本代表の「彗星(すいせい)ジャパン」。東長濱も「一生に一度のチャンス。何が何でも出たい」と意欲満々だ。“ハンド王国”と称される沖縄で生まれ育ち、故郷への感謝の気持ちも強い。「小中学校に当たり前にハンド部がある環境で育ってきた。五輪でプレーする姿を沖縄の人に見てもらうのは幸せなこと」と穏やかな表情を見せる。黙々と、着実に。東京五輪の舞台へ歩みを続ける。

(敬称略)
(長嶺真輝)