「首里城復元になくてはならない存在だったのに」 沖縄の漆芸をけん引した前田孝允さん死去


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
琉球国王の玉座を仕上げる作業をする前田孝允さん=1993年(「金龍五色之雲―復元の肝心―」から)

 1992年の首里城復元に貢献した漆芸家の第一人者・前田孝允さん(83)の他界を受け、生前に交流が深かった関係者は悲しみに包まれた。前田さんは今回焼失した首里城の再建に関わることにも強い意欲を示していただけに、「こんなに早く亡くなるとは」「大変な損失。残念だ」と悔やむ声が上がった。

 琉球大名誉教授で、復元作業に共に携わった高良倉吉さん(72)は「前田さんは首里城正殿全体の彩色を担当した。御差床(ウサスカ)や国王の玉座、扁額など細かく高度な技術が必要な漆塗りをした。首里城復元になくてはならない存在だっただけに残念だ」と声を落とした。その上で「元々、首里城の彩色・塗装工事は琉球漆器の職人が担当していた。先人の技術を現代によみがえらせたのが前田さんだ。後輩が思いを受け継いでくれる」と期待した。

 前回の復元作業を通じ親交があった沖縄美ら島財団の花城良廣理事長(69)は首里城焼失後、前田さん本人から「前回関わった所はもう一度自分でしたい」と電話があったことを明らかにし、「力強い言葉に励まされた」と振り返った。「首里城の仕事に関わる中で、もう一度元気を取り戻してもらえると期待していたが」と悔やんだ。

 県指定無形文化財保持者(琉球漆器)で前回、共に作業をした諸見由則さん(59)は「物事をとことん突き詰める人。沖縄の漆芸を引っ張ってきた」とたたえた。その上で「11月にお見舞いした際は元気で、『玉座を一緒に復元しよう』と確認した。助言も期待していたので残念だが、後輩が引き継がなければいけない」と気を引き締めた。