「世界で戦える選手を」 沖縄県内ライフル射撃界変革


「世界で戦える選手を」 沖縄県内ライフル射撃界変革
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 県内のライフル射撃界が変革を遂げた。那覇西高時代に国体で日本一に輝いた仲本正樹さん(46)=興南高外部コーチ、県ライフル協会強化担当=が先頭に立ち、選手に寄り添った指導、底なしの探求心で新たな練習方法を取り入れる。ここ3年で全国の表彰台に上がる選手や、東京五輪選考大会に出場するような選手も輩出した。「世界で戦える選手を育てたい」と夢はまだまだ途中だ。

■独コーチの助言

 高校のエアやビームライフルは10メートル先にある的の中心の黒点(0・5ミリ)を狙う。トリガーを引く際のわずかなぶれが、得点に大きく影響してしまう。高い集中力と忍耐力を必要とする競技だ。

 中学まで野球をしていたが「自分の実力に限界を感じた」という。父の雅有さんが協会の理事長を務めていたのもあり、自然に競技を始めた。那覇西高3年時は石川国体(91年)少年男子10メートルエアライフル(20発)に出場し「ゾーンに入っていた」と日本新記録で全国頂点を経験した。

 これまで県内の競技人口は毎年数人ほどだった。2012年に興南高で競技歴のある先生が顧問、仲本さんは外部コーチに付き部活動立ち上げに携わった。中心となり、射撃場で指導を続けている。

 競技に向き合う姿勢が大きく変わったのは17年の愛媛国体だった。沖縄勢のほとんどが九州ブロックで予選落ち、本国体出場者の入賞はなく「惨敗だった」。大会後、県ライフル射撃協会の会長を務める父の雅有さんを前にし「3年後の鹿児島国体で8位入賞を目指す」と改革を宣言した。

 直近の大会に合わせて練習メニューを組むのが日本式だが「このやり方でそれまで入賞はあったが、団体で優勝できなかった」という。18年1月は強豪国のドイツからアストリットコーチを招聘(しょうへい)した。「それで勝ちたい大会は勝てたか」と助言を受け、気付かされた。以降、1年間のローテーションを意識しメニューを組み立てるようになった。

 新体制の1月からは体幹トレーニングと、空撃ちなどフォーム固めの練習に8割の時間を費やした。期間中は公式試合もあり、実戦形式の練習をしたい選手は「楽しくなかったと思いますよ」と笑う。

 結果はすぐに出た。18年の福井国体は、成年男子ライフル膝射(20発)の浜端瑛、少年男子ビームライフル立射(30発)前泊佳吾が日本一となり、種目別総合順位で7位に入った。昨年12月の九州高校新人ではエアライフル団体女子の山田百恵、屋宜さくら、根間璃美花が優勝し、日本高校新記録を樹立した。

■自分と向き合う

 選手の精神面を支えているのは、毎日の「射撃日誌」の存在が大きい。ファーストフードの店長として勤めていた時に実施していた「気づきメモ」からきている。社員が業務中に気づいたこと、同僚の良い所など、ポジティブなことだけを書き連ねた。「店内の雰囲気は一気に明るくなり、社員の働く意欲が増した」と効果を実感した。

 射撃場では3年前から本格的に日誌に取り組んでいる。天気や気温の外的要因や、睡眠時間、体調を5段階評価したものを書く。メンタル面の内容は選手によってさまざまで「よく考えてみたら(調子が)良い時はちゃんと重心を確認していた」などの振り返りや、「自分に期待するな!当たらなくても自分に勝てたらそれでいい!」の大きな文字も。自分自身と向き合い続けたからこそ、実戦で平常心を保つことができる。

 卒業生の饒平名アリスさん(興南高―同志社大1年)は「正樹さんは選手一人一人と向き合って指導してくれる」と語った。東京五輪の1次選考会に出場するなど、実力を伸ばし続けている。「ここで学んだことは社会でも通用すると思う。多くの人に競技を知ってほしい」と期待した。

 妻の渚さんと運営する射撃教室の効果もあり、現在は興南高で24人の選手が競い合っている。「競技を始めた頃は無口だった子が、卒業する頃には、おしゃべりになってたりする。子ども達の変化を見るのが楽しい。もう趣味になってますね」。いずれ花を咲かす選手らに愛情と熱意を注ぎ続けていく。
 (喜屋武研伍)