「恩返しせな」25年前のあの出来事が被災地移住のきっかけに… 仙台市の島袋金福さん〈続く絆・東日本大震災9年〉㊤


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被災地への思いを語る宮古島市出身の島袋金福さん=2月27日、仙台市

 「3年ぐらいで帰れるかな、という感覚で来たんやけどね」。仙台市で建設業を営む島袋金福さん(61)=宮古島市出身=は東日本大震災後の9年を振り返り、笑った。

 親しみやすい関西弁は、中学卒業後に故郷の伊良部島を出て住み着いた兵庫県尼崎市で身に付けた。「3・11」から半年余りがたった2011年10月、津波で甚大な被害を受けた東北沿岸部の復興工事に従事した同業の知人の依頼を受けたのを契機に、東北に足を踏み入れた。

 「津波で破壊されて沿岸部はえげつない状態やった」。尼崎市の会社と被災地を行き来する生活が2年ほど続いた。復興工事に本腰を入れるため、13年4月に拠点を移した。

 被災地の復興にこだわるのは、25年前の災害の記憶が残っているからだ。「阪神(・淡路大震災)の時のことがあったしね」

 1995年1月17日早朝、就寝中に震度6の揺れに襲われた。一緒に寝ていた前年6月に産まれたばかりの七男を、とっさにこたつの下に避難させた。

 家族は無事だったが、独立した矢先での災害で暮らしへの打撃は大きかった。そんな時、全国から届いた支援の輪が物心両面で支えになった。「いろんな所から応援が来てくれたおかげで僕らは復興できた。あの時の経験があるから、恩返しせな、という思いが強かった」

 震災後、東北の中心部にあるJR仙台駅周辺ではマンションの建設ラッシュが起き、土地の値段も上昇傾向にあるという。「津波の被害がひどかった沿岸部では若者がほとんどいなくなってしまった。復興住宅に移った高齢者の中には孤独死する人も多い。街が復興しても過疎化はどんどん進んでいる」

 震災直後から被災地の歩みを間近で見詰め続けてきた島袋さんの目には、復興の負の側面も映る。

 同じ沖縄出身で仙台移住以来、交流を重ねている獣医師の塩浜康輝さん(79)=名護市出身=も変化を実感している。「宮城県全体でペットを飼う人の数が減っている。生活環境の変化で飼育できなくなった人が増えたのだろう。震災が人々の暮らしをいかに変えたかということだ」と嘆息した。

 それでも復興に関わろうとする島袋さんの思いは変わらない。現在は、同じ道に進んだ息子3人も東北での復興事業に携わる。その中には、阪神・淡路大震災の直前に産まれた七男の姿もある。「まだまだ先は長いからね」。思いは受け継がれる。
 (安里洋輔)
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 東日本大震災から9年。被災地の復興への歩みを県人の思いと共に振り返る。