平家、琉球に渡った可能性高く 歴史研究家の大川純一さん 地名や歌謡集などから独自視点


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南走平家について講演する大川純一さん=2月23日、名護市羽地支所

 【名護】「南走平家による琉球・沖縄王朝史を語る講演会」(同実行委員会主催)が2月23日、名護市羽地支所ホールで開催された。歴史研究家の大川純一さんが、平家が壇ノ浦で滅びずに南方に渡り琉球王朝を築いたとする説を独自の視点から解説した。

 大川さんは平家が沖縄に渡った根拠として平家を連想させる地名が沖縄各地に残っていること、琉球最古の歌謡集「おもろさうし」の記述などを挙げ、「平家は沖縄本島にも渡った可能性が高い」と述べた。

 また、羽地朝秀(1617―1675年)が「中山世鑑」に記した源為朝の運天港渡来伝説について、平家が沖縄本島に渡ったことを隠そうとした薩摩藩の意図を背景に記された可能性があると指摘した。

収益金の一部を首里城再建支援として寄付した上原吉二実行委員長(右)ら=3月4日、琉球新報社北部支社

 講演会は約300人が聴講。上原吉二実行委員長らは収益の一部の53万9018円を、首里城再建支援の寄付金として琉球新報社に託した。