鼓舞する力、エイサーで再確認 郷土の芸能伝える原動力に 後藤雄喜さん〈続く絆・東日本大震災9年〉㊦


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石巻市でエイサーと地元伝統の獅子舞に参加する後藤雄喜さん(右端)、妻の利恵さん(左端)、(前列左から)長女の優利さん(8)、次女の千尋ちゃん(5)、後列中央が長男の大士郎ちゃん(4)

 「当たり前にあると思っているものが、当たり前じゃない。震災でそのことに気づかされました」

 宮城県女川町の職員、後藤雄喜さん(34)はかみしめるように言った。

 地震や津波の被害で、人口の8・3%が犠牲となるなど「被災率最大の自治体」とされる女川町で復興事業に携わる。町の人口は1月末時点で6404人で、震災時の1万14人から約3500人減った。

 「平成に入ってから毎年200人前後の減少だったが、震災を機に3割超の人がいなくなりました。人口減少率は全国で最も高いといわれています」

 震災の教訓を伝える遺構が先月29日、公開された。津波で横倒しになった「旧女川交番」で、粉々になった窓ガラスや破壊されむき出しになった基礎部分など、発災当時のままの姿が町を襲った濁流の激しさを物語る。

 福島第1原子力発電所事故の影響で操業を停止した女川原子力発電所の再稼働の是非や、人口減少を見据えたまちづくり。多くの課題を抱えながら、町は9年目の「3・11」を迎えた。

 女川町の復興を担う後藤さんが震災後、取り組んでいるもう一つの課題が、生まれ育った石巻市に伝わる伝統芸能の伝承だ。

 「600年以上前から地元に伝わる獅子舞です。年々踊り手が減る中、仲間と共に継承への取り組みを続けています」

 毎年正月に、集落に新春の訪れを告げる獅子舞は、石巻市や女川町など宮城県沿岸部の各地域に残る伝統行事として伝えられてきた。「郷土の伝統を伝えなければ」という思いを駆り立てたのは、妻の利恵さん(34)=旧姓・大城、南城市出身=と一緒に始めたエイサーだった。

 2015年、フェイスブックを通じて、今帰仁村出身で震災ボランティアとして石巻市に移住した東恩納寛武さん(33)が立ち上げた「エイサー石巻」の活動を知った。「郷土の踊りに懐かしさを覚えた」という利恵さんに誘われ、地元の祭りで演舞を披露したほか、県内外の仮設住宅も巡った。エイサー演舞を通じて被災者と触れ合ううちに、傷ついた人々を鼓舞する芸能の力を再確認した。

 「獅子舞の継承に危機感を持つようになりました」

 今は、震災後に生まれた3人の子どもたちも一緒にエイサーの練習に汗を流し、正月には獅子舞で地元の家々を回る。「エイサーも獅子舞も楽しんでくれているみたいです」と後藤さん。祝祭の鼓動とともに復興への歩みを進めている。

(安里洋輔)